BBS会議室「寺子屋」
ゴジモンママさんへ質問です 投稿者:澪里 投稿日: 2月23日(金)00時51分38秒
ゴジモンママさんに教えていただきたいことがあるのですが、
よろしいでしょうか?
東京都の中途失聴・難聴者協会は、「難聴児を持つ親の会」など、
インテの教育に対しての接点を持っているのでしょうか?
インテの改善には、やはり、中難協もろう協が「ろう教育」を考えているのと同じように、
「地域校における聴障児教育の改善」を考え始めた方がいいような気がするこの頃です。
中難協の場合、どうしても成人期以降聞こえなくなった方で年輩の方が多い
世界なので、私がいた頃はそのような視点を協会に持ち込むというのが、どう
にもできないムードがありました(私も若かったし)
青年部には、幼少時から聞こえなかった方が大勢いるので、その位置から教育界へ
アピールすることも可能かなぁと考えはじめているこの頃です。
デフニュースからの配信 投稿者:龍児 投稿日: 2月23日(金)00時43分18秒
「デフニュース」から配信された「秋田魁新聞」の記事を転載します。
『聴覚障害の早期発見、簡単に/県、新生児検査に補助
県は新年度、新生児(生後2―5日)の聴覚障害の早期発見・療育に威力を発揮する検査に補助を出す。この検査法は精度がほぼ100%で簡単にできるのが特長。既に秋田市の市立秋田総合病院など県内3病院で実施、効果を上げている。聴覚障害児の言語発達は早期の発見・療育が明暗を分けるため、以前から普及が望まれていた。
この検査は自動聴性脳幹反応検査(AABR)と呼ばれ、眠っている新生児に簡易ヘッドホンで刺激音を聞かせ、脳幹から出る微弱な反応波を測定する仕組み。
県は、補助対象に新生児の出生数が年間250人を超える県内5つ程度の病院を見込み、新年度当初予算案に549万1000円を計上した。医師や検査技師、言語療法士らで委員会を立ち上げ、言語指導など早期発見後のフォローアップ体制も整備する予定。
市立秋田総合病院は平成10年12月にAABRを導入。計713人の新生児に実施し、これまでに3人の異常を見つけた。
同病院小児科によると、従来は定期健診などで掛け声などの刺激を与え、明らかに異常が認められる場合、聴性脳幹反応検査(ABR)などを実施するのが一般的だった。しかし、健診での判定はなかなか難しく、ABRも精度は高い半面、検査に時間がかかり、熟練した検査技師が必要といった難点があった。
聴覚障害児の言葉の発達の遅れは、言語習得能力に問題があるのではなく、難聴が原因の場合が多いとされており、同科の小泉ひろみ医長は「早めに障害を見つけ、補聴器を付けたり、言語療法士の下で言語指導を受けることが大切」と話している。
<写真:短時間で簡単に新生児の聴覚障害を調べることができる自動聴性脳幹反応検査(AABR)=市立秋田総合病院>』
きこえの教室 投稿者:孫悟空 投稿日: 2月22日(木)23時24分18秒
ゴジモンママさん、首都圏のリポートをありがとうございます。
やはり地方ではみられない複雑な事情・問題があるようですね。
さて、こちら金沢市の小学校で難聴学級に代わる「きこえの教室」を
下のリンクで紹介させていただきます。参考になればうれしいです。
首都圏の話ですが 投稿者:ゴジモンママ 投稿日: 2月22日(木)18時28分49秒
知り合いの聴障児でこの春中学生になる子供たちが、私立中学を受験し合格したという報が相次いでいます。やはり2002年からのゆとり教育の導入と公立中学の荒れに嫌気がさしたものと思われます。私はある意味でその選択は、間違っていないのではないかと思っています。
学区域に難聴学級のある所に住んでいても、あえて難聴学級のフォローを得られない道に進んでいっています。
学力も難関私立に合格するほど優秀で、性格も友達のいない学校でも何とかやっていけるだけのものを持っている子供たちが、どんどん私立進学へとシフトしていっています。
その結果、中学の難聴学級には、学習面で大きな問題を抱えている子や性格的に友達関係にトラブルを起こしがちな子が集まってくるようになるのではないでしょうか。
もちろん何らかの心配材料があるからこそ、難聴学級に通ってくる訳ですけど、その度合いが激しくなる傾向になり、そうした子供たちを専門性のない難聴学級の先生が受け持ち、混乱を極めるようなことにならなければいいのですが。
難聴学級の先生の資質や専門性を高めて、一人一人の子供の真の成長を促していただきたい。また、それと同時に安易なインテ、親の自覚なきインテにたいしてのある種の歯止めが必要になってくるのではないかと感じます。大阪の親の会では、インテを認めてくれという方向で今まで教育委員会に運動を続けてきたが、これからは方向性を変える、あまりにも安易なインテは子供を傷つけるだけだ、きちんとした就学指導が必要という立場に立つようです。
各地域の親の会はどうなのでしょうか?東京都ではまだそのような明確なメッセージは感じられません。
何はともあれ、私立進学を選択した親子には、継続的な聴障児の集団は絶対必要だから子供たちの集まりには必ず出てねと声をかけています。でも第2・第4土曜を主な活動に当てていた私たちの会の集まりでは、土曜休みでない私立の子には難しいですね。小学校6年間続けてきた小さな会の小さな活動が、子供たちの中に確かな果実となっているように祈るのみです。
英語ヒアリングの記事 投稿者:孫悟空 投稿日: 2月22日(木)00時17分10秒
うちの「ニュース」ページで探してみたら、英語ヒアリングの記事がみつかりました。
これも白馬岳さんのおかげです。
下のリンクでご覧下さい。
きょうは他のことがいっぱいで、手抜きしてすみません。
ありがとうございます 投稿者:白馬岳 滑太郎 投稿日: 2月22日(木)00時00分11秒
孫悟空さん、お返事大変ありがとうございました。いつもリンクのことを言われるとお詫びして、心苦しいのですが次のようにお答えしております。ホムペを立ち上げた時にリンクしないこと、掲示板を持たないこと、を決めております。私のものぐさ故です。(それでもあちこちでリンクされ、私はなんてわがままなんだろうといつも思っております。)ごめんなさい。もう仕事だけで精一杯の日常です。
日本手話の要素がある対応手話とは? 投稿者:龍児 投稿日: 2月21日(水)21時06分40秒
てのひらさん、レスをいただき、どうもありがとうございます。
> 龍児さんの言う(日本手話の要素がある「対応手話」)と言うのはどういう手話をさしているの
>かよくはわかりません。
私としたことか、説明不足で申し訳ありませんでした。
有識者の間では「日本手話にシフトした対応手話」或いは「日本手話もどきの対応手話」なんていう、どっちつかずの曖昧な表現があるようだが、専門家でない私の実感としては、厳として、「対応手話」の部類に入る手話だと思っています。
ただ、手話講習会初級クラスの聴者が使う「対応手話」と私達ろう者が使う「対応手話」は形の上では全く同じように見えても、読み手のろう者にとって前者の「対応手話」がなかなか受け入れにくいという事象があることを、ご存じでしょうね。
相手が自分と同じ「ろう者」だからという心情的な面で説明する人がいるかも知れないが、私は違うと思います。なぜならば、ろう学校小学部の子供には、聞こえない事が当たり前である環境にいるせいか、相手がろう者という意識をことさら持たないものです。かと言って、聴者だからと構えることもありません。要するに、障害の受容が本当にまだ出来ていない場合の子供です(ろう学校の「温室」 性)。その子供が話しかけられたとき、聴者の手話と私達の手話とでは、反応がまるっきり違ってくるということがしばしば指摘されています。
自分でも子供と接するときは気付かなかったが、後日、聴者の「対応手話」にない「モノ」が私達の「対応手話」にあるということに思い当たったわけです。それが「日本手話の要素」なのです。
これは日本手話同様、2、3年程度の講習会で簡単に会得できるものではないことと関係あるかもしれません。(芝居の天分がある者なら別だが)
具体的にいうと、手話の流れの中で、ほんの間だけこれまでのリズムを崩して、相手の反応を確かめるように、うなずいたり、頭を傾けたり、または眉を上下させたりすつ動作をすることがあります。
これは日本手話でいう「非手指動作」というものだが、それ自体は日本手話論者のいう「言語」というわけではなく、ただ、対応手話で語る内容を補強するためだけの役目だから、「非手指」というのも抵抗がありますね。
聴者の「話し方教室」でも、そういう動作をふんだんに取り入れるのも相手の気持ちを引き込む「話術」の一つだと盛んに講師が勧めているではありませんか。それをわざわざ「非手指」と強調するのも、おかしいのではないでしょうか。
それに、日本語の構文を頑と崩さないで、しかも「口形」も併用しているから、大部分は「対応手話」の形を保っていると思います。だから、顔の「表情」を有効に使っている分だけ日本手話の要素があるという意味合いで、使っています。
日本手話の口形 投稿者:てのひら 投稿日: 2月21日(水)15時29分27秒
>助詞を指文字で表す同時法でもこうだから、まして「声つきの対応手話」では
>無理なのでは、というのは短絡的な理屈ですね。日本手話の要素がある「対応手話」
>というのは、限りなく「日本手話」に近い自然な言語です。それに、日本語の要素
>である「口形」を伴うならば、読み取りの効率が上がるばかりでなく言語感覚の
>育成に繋がるはずです。
(龍児さん)
龍児さんの言う(日本手話の要素がある「対応手話」)と言うのはどういう手話を
さしているのかよくはわかりません。しかし、日本手話の中に、日本語の助詞の口形
があらわれる事は、よくあることです。
デフファミリーの中で生まれ育ちバリバリの日本手話の使い手の中にも、「弟は」
「田中さんの」のように、「は」「の」などの助詞を口形をつけてあらわしている
ケースによくおめにかかります。むろん、口話教育の影響を強く受けている若い
世代に多いのです。この世代の手話は、高齢ろう者の手話とかなり変化しており、
その変化の一番の原因は、日本語の影響だと思います。このような手話を龍児さんは
日本手話の要素がある「対応手話」と言っているかもしれませんね。
おはようございます。 投稿者:Mogura 投稿日: 2月21日(水)07時44分17秒
龍児さん、お手を煩わせてすみませんでした。どうも、私の頭の中で、今まで得た知識や情報
が散乱してまとまりがついていないようです。
>それ以上むづかしい「敬語」を勉強しろ、と言うのは物理的に困難なんです。
そうだったんですね。これも私のろう者に対する高望みだったようです。街中でたまたま
ろうの方々に声をかけられると、決まって「君、ろう?どこ?卒業。」と矢継ぎ早に質問
され、「ろう協、入ってる?どこ?」と聞かれ、「どこも入ってない」と答えると、「入る
べき!君」と高圧的な態度で決め付けられて心証を悪くした経験をしているので、こんな
態度では少々誤解されないのかな?と思ったりしました。逆に自分の態度があまりにも謙って
いたからなのかという反省もあります。少なくとも、初対面の人に対するマナーとかは学校
でも家庭でも学べないかと思います。「敬語」については、確かに矛盾や滑稽さがあります。
ビジネス面ではある程度の文章力を問われたりしますので、グローバル化やIT浸透の背景下
では欧米並みに簡潔にすべきと思いますが、文章力はいくらあっても足りないことはないと
思います。
手話に於ける指示語と敬語 投稿者:龍児 投稿日: 2月21日(水)01時25分23秒
助詞を指文字で表す同時法でもこうだから、まして「声つきの対応手話」では無理なのでは、というのは短絡的な理屈ですね。日本手話の要素がある「対応手話」というのは、限りなく「日本手話」に近い自然な言語です。それに、日本語の要素である「口形」を伴うならば、読み取りの効率が上がるばかりでなく言語感覚の育成に繋がるはずです。
試しに、今日見つけた映画ポスターのキャッチコピー、『アメリカがもっとも愛した友情が、ここにある』を同時法でやってみると、文中に主格を示す「が」が二つダブっているから、「ここにある」という語は何処の語を受けた述語がわかりにくくなるが、対応手話だと口形で「が」が二つあることはわかっていても、「友情が」というところで力を込めてから一旦止めて、「ここにある」と行けば、文章全体の意味がとれるだろうと思います。本物の「日本手話」でやると、「翻訳」そのもだから伝達の効率が良いが、助詞を感覚的に覚える方法としては、残念ながら向いていないと言えます。
>日本手話では、「あなたは」とか「君」とかの区別はあるんでしょうか?恐らく指差し一本ではな
>いでしょうか?
いえいえ、そうではないです。人を示す指示語は日本手話では、基本的には「人指し」で済ませられるが、敬語のつもりで使う場合は、動作をゆっくりしたり目の上に手話を置いたりして表します。また、指差しの代わりに、手のひらを上にして「指し示す」ことで代用する事もあります。要するに、「態度」で使い分けるということです。
確かに尊敬語、丁寧語、謙譲語の類は、人間関係を円滑にするために必要な知識であるのは間違いないが、だからといって、聞こえない者にも勉強しなければならないというのは、酷だと思いますね。出来るのであればこしたことはないが、ただでさえ、普通の文章を書くことすら苦労している人に、それ以上むづかしい「敬語」を勉強しろ、と言うのは物理的に困難なんです。せめて人並みの文章能力さえあれば、何とか生きていけると思います。
現代の人でさえ、敬語を満足に使えない人はざらでめずらしくもありません。元来、日本語の「敬語」というのは、機能的な使い方ではないですね。実際、お役所仕事でも、最近「冗長な文章」だとして出来るだけ控えるようにしているところが増えてきています。 IT革命を言語面でサポートするなら、欧米語並に標準的な使い方で十分だと、私個人は思っています。
>抽象的な思考への移行は、個人差があると思いますが、それは手話の形体に影響されるのでしょうか?
それは、一概に言えないことだと思います。抽象的な思考ができるということは、Moguraさんの言われる通り個人差があるが、言葉に寄らなくとも可能なはずです。だから、日本手話であれ、対応手話であれ、どっちにしても抽象的思考が出来ると言うことに関しては、五十歩百歩だと思います。ただ、その抽象的思考の結果を、「書き言葉」に移行する段階で、どれが抵抗が一番少ないか、考えてみる必要があると私は言いたいのです。書記日本語を十分に操れないのでは、いくら思考が優れていても世間では正当に評価されないから、結局「お山の大将」なのです。ろうコミュニティの中で満足する人生がいいなら、こちらとしては返す言葉もないが、・・・。
栃木ろう校の手話 投稿者:龍児 投稿日: 2月21日(水)01時20分57秒
Moguraさんは、私を手話学の専門家と見てむづかしい質問を連発しておられるようだが、実際はここで得られた情報と自分の経験を元にして言及しているだけで、全てのろう学校の事情に詳しいわけではないので、困惑しております。しかし、自分で知っている範囲内でいいなら、レスしたいと思います。
>龍児さん、栃木ろう学校で対応手話を使用して失敗したとかではなかったでしたっけ?
栃木ろう学校で使われている手話は「同時法的手話」と言って、厳密には「対応手話」ではないはずです。教育関係者の中には同一視する向きもあるが、手話の構造には通じていない人はとかく、皮相的な見方をするものだから、あてにはならないと思います。
さて、栃木ろう校の試みが失敗した?については、何を持って失敗したかで意見が分かれると思います。一般的な受け止め方として「書記日本語の習得」に寄与したかどうかは、資料(統計)を見ていないので何とも言えないが、付属ろう学校高等部に入学する「栃木ろう校出身者」の作文を見ているとずば抜けているわけでなく、他のろう学校出身者と大差ないような印象がありますね。ただし、付属ろう学校に入学する人は「優秀」というのが相場だから、栃木ろう校の平均的な「生徒」だともっと評価を辛くしなければならないかもしれません。
大体、「同時法手話」というのは、昔の「伝統的手話」(日本手話の原型)に対峙する手話という位置づけがなされているが、そのせいか、年配者の話を聞くと評価が大変低いのは否めません。私も最初その手話を目にしたとき、構造的には問題があるなという感触を持ちました。「てにおは」を指文字で示し、語尾変化も全てガチガチに表す「同時法手話」は使う側も読みとる側も、余程慣れていないと「ストレス」を感じてしまいそうな手話ですね。
助詞を指文字で表しているからには、日本語としての「言語感覚」の育成に役立っていると言っても良いはずだが、現実には理屈通りには行かないようですね。それは、日本語の「バックボーン」がまだ不十分な子供にとっては、いちいち助詞や語尾変化を指文字で表したり読み取ったりするのに神経を使いすぎて、肝心の文章全体の意味を掴み損ねる場合があるのではないでしょうか。しかし、今でもその伝統を栃木ろう学校が守っているところを見ると、実績があるということのようです。やはり、日本手話を使い慣れている側の「見方」かもしれません。
人工内耳の手術 投稿者:孫悟空 投稿日: 2月21日(水)00時37分04秒
私の地元、金沢大学医学部附属病院耳鼻咽喉科でも人工内耳の手術を行なっています。
人工内耳は、補聴器が使えない難聴児(者)に有効といわれていますが、過大な期待は
禁物で、専門医の説明や体験者の話をよく聞いて、慎重に考えていただきたいものです。
その手術を受けた難聴児の親の手記をアップしましたので、下のリンクでご覧下さい。
石川県の英語ヒアリング 投稿者:孫悟空 投稿日: 2月21日(水)00時29分24秒
白馬岳滑太郎さん、いらっしゃい。
>石川県の英語ヒアリングのことを拙ホムペの99年2月号で書いていたことを思い出しました。
さっそく、おたくのHPへ行ってみましたが、当時の新聞記事が載っていましたね。
日本聴力障害新聞でも取り上げられていて、全国的な注目を集めたようです。
相互リンクということで、これからもよろしくお願いします。
対応手話 投稿者:Mogura 投稿日: 2月20日(火)19時17分55秒
龍児さん、栃木ろう学校で対応手話を使用して失敗したとかではなかったでしたっけ?
栃木ろう学校では、敬語をきちんと使っているかチェックができないとして、敬語に相当
する手話を考案したそうで、それを某通訳士から教えてもらったことがあります。日本手話
では、「あなたは」とか「君」とかの区別はあるんでしょうか?恐らく指差し一本ではない
でしょうか?(これ違っていたらごめんなさいです。)
相手を敬うということ、これも忘れてはならない教育基本だと思いますね。
小学校高学年で補聴器活用可能なお子さんでも、助詞を指文字で表し、部分的に対応手話を
使った方が「9才の壁」を乗り越えるのに、少しは役に立つように感じます。抽象的な思考へ
の移行は、個人差があると思いますが、それは手話の形体に影響されるのでしょうか?
はじめまして 投稿者:白馬岳 滑太郎 投稿日: 2月20日(火)13時09分52秒
なんだか意固地さや権威振り回しが理想の追求に障害になっているように思えますね。教師だった母親からもよく聞いたことがあります。
さて、はじめまして(でも、ないかも知れませんが)、日頃皆さまの書き込みに勉強させて頂いています。私は生まれつき90dbぐらいの感音性難聴のものです。
石川県の英語ヒアリングのことを拙ホムペの99年2月号で書いていたことを思い出しました。
以前、孫悟空さんには某所で議論の片隅をとらえて意見申したこと失礼だったと思っております。
私も不思議です 投稿者:龍児 投稿日: 2月20日(火)00時34分42秒
>しかし、対応手話で失敗したというのはどこから来たのであろうか?
>また、TCで上手くいかなかったというのはどこかた来たのであろうか? (Moguraさん)
私も、不思議に思ってしようがありません。
これまでの議論で聴いていると、足立ろう学校の例を持ち出している人が居ましたね。低学年のコミュニケの様子をちょっと見ただけの判断、つまり、一過性の現象のみを捉えて、「日本手話化するから、対応手話でやっても無意味」という結論を引っぱり出していたようです。継続的な追跡調査の結果でもなく、まして、統計という形でまとめたわけではないのに、仲間内のコミュニケが「日本手話」を使うという現象を根拠に、「対応手話は失敗している」という理屈は、いかにも乱暴だと思いました。
仮に「統計」があったとしても、統計というものは「ある意図」を持ってすれば、自分の都合のいいように数字を導き出すこともできるから、過大な信憑性をもつのいは、考え物だと思いますね。
私も「教育実習」時代に子供相手に「対応手話」でやってみて反応が良いという感触を確かに得ているので、「失敗」とは何だろうな、と思いました。私のろう学校時代は授業の時は厳しい「口話法」で苦しめられたが、今になって「対応手話」の併用があったら良い成果が出ただろうと、時々思うことがあります。いわば昔の経験を元に、子供の言語能力を高める教育言語としては「対応手話」が最適という信念を持っています。
どうせ仲間内で「日本手話化」するなら最初から「日本手話」でやった方が効率的という話もあったが、それほど、無責任な理屈はないと思いますね。対応手話と一緒にやると、「セミリンガル」になる危惧があるというのは、この前にも言ったように現実を直視していない人の「取り越し苦労」というもので、根拠があるわけがありません。子供のコミュニケによく注目すれば、「コードスイッチング」の現象が見られるものです。つまり、子供は大人向きと仲間向きに二つの手話を使い分ける本能があることを見逃しては行けないと思います。
第1、書記日本語の習得と結びつかなかったから「対応手話」での試みは「失敗した」というなら話は分かるが、「子供の間で日本手話化するから、対応手話での試みは失敗した」というのは、いくら考えても、論理の整合性が見つかりませんね。まして、日本手話がろう児にとって「自然な言語」だからというのも、安易すぎる理屈です。生活言語と教育言語の違いを理解できない人の「思いこみ」でしかありません。
この間も、ある親の会の関係者に欧州のバイリンガル教育で「先生が声無しの手話を使っている」という事については、事実誤認がある旨のメールを差し上げたところ、感謝のメールを寄越すところか一言も返してこないとは、呆れて物が言えません。「礼儀」を知らないにもほどがあります。何から何でも「日本手話」に拘って、それに反する意見などは耳を貸さないと言う「かたくななさ」は、かえって、お子様を「日本手話漬け」にすることに躍起になっているようで、行く末が心配になりますね。
不幸な子ほど・・・・ 投稿者:孫悟空 投稿日: 2月19日(月)22時26分54秒
「不幸な子ほどかわいい」といわれます。
私の若いときは「不幸な子(障害児)は大変なのに、なぜかわいいだろう」と
不思議に思っていました。ふつうの人たちも同じように思っているでしょう。
今、子供をもつ親になってみると、ようやく言葉の意味が少しわかってきたように
思います。
それは「不幸な子ほど手がかかるから、いつのまにか愛情がわいてきて、かわいいと
思えるようになる」ということです。
手がかかって、かわいいから、たとえ「親バカ」「過保護」「教育ママ」「子供が
かわいそう」と世間にいわれようと、また子供から「お母さんがこわい・きらい」と
いわれようと、親の思いはいずこも同じではないでしょうか。
それゆえに「健常の子供に負けない・それ以上に努力する・何倍も幸せになってほしい」
と親の思い入れはますます強くなります。
言語障害児をもつ親の会の会報を読みながら、そんなふうに感じ取りました。
英語のヒアリング問題 投稿者:孫悟空 投稿日: 2月19日(月)00時47分57秒
インテの難聴児が高校受験のときに、英語のヒアリング問題は難問でしたが、
石川県の親の会が教育委員会に要望書を提出して改善された例をアップしました。
下のリンクでご覧下さい。
金沢で2つの全国大会 投稿者:孫悟空 投稿日: 2月17日(土)23時53分07秒
先にお知らせしましたように、金沢で「言語障害児をもつ親の会」の全国大会が8月4・5日に
開かれますが、そのあとの8月17・18日にも「ろう教育を考える全国討論集会」が開かれます。
この2つの全国大会はどうちがうのか、前者は親の会主導の「金沢方式とインテグレーション」
で、後者は全日ろう連主導の「ろう教育のバイリンガル」といえば、わかりやすいでしょう。
今年の親の会全国大会は「金沢方式」の本場で開かれるので、もっと生の声・情報を知りたい
人は参加をおすすめします。私が取り次ぎをお世話します。
下のリンクでご覧下さい。
「ろう教育と手話」 投稿者:孫悟空 投稿日: 2月17日(土)23時33分06秒
「金沢方式」を実践した親が中心になっている「石川県言語障害児をもつ親の会」の会報に
「ろう教育と手話」という文があり、親の気持ちを知るうえでいい参考になると思います。
下のリンクでご覧下さい。
「金沢方式」の手話 投稿者:孫悟空 投稿日: 2月16日(金)22時54分49秒
「金沢方式」で使われる手話は、日本語に対応したものになっています。
<例>お父さんとお母さん(お父さん/と/お母さん)
バイリンガルの手話 投稿者:孫悟空 投稿日: 2月16日(金)22時51分00秒
ろう学校におけるバイリンガル教育に使われる手話ですが、
「手話は、国語(日本語)とは言語体系も文法も表現の方法も異なる言語」と
全日ろう連が意見しているように、日本語に対応した手話ではありません。
すると、異なる2つの言語(日本語と手話)を教育の現場で使おうとすれば
思わぬ混乱が起きるおそれがあります。
私がいたろう学校で、若い先生が授業中にかんたんな手話を取り入れたり、黒板に
書いたりして、生徒にわかるように工夫・努力していましたが、生徒は授業の意味が
何となくわかるだけで、学力のアップにつながるとは思えませんでした。
その結果は学力テストによくあらわれています。
仮にも幼稚部で手話を取り入れて、日本語の獲得に成果があったとしたら、その子供
たちのほとんどは地域小学校にインテグレートしてしまうでしょう。
しかし、どっちにしても、0歳児から家庭で言葉を教える「金沢方式」に比べて、
大きく出遅れてしまうことは明白になるでしょう。
RE:「アダムの本」 投稿者:Mogura 投稿日: 2月16日(金)22時15分12秒
龍児さん、ごていねいにありがとうございました。
そのような指導方法なら、難聴学級でも積極的に取り上げられてもいいですね。
口形併用なら、どうしたって日本語の構文に添うことになりますから。
でも難聴児と関わる先生方は、やはり手話をある程度マスターしてもらいたい
ものです。
しかし、対応手話で失敗したというのはどこから来たのであろうか?
また、TCで上手くいかなかったというのはどこかた来たのであろうか?
アダムの本は絵本です 投稿者:龍児 投稿日: 2月16日(金)21時41分14秒
>その本ですが、バイリンガル教育の能書きはともかくとして、実践する時の心構えや必要条件とか
>は書いてありませんでしたか
>また、インテに対する見解も取り挙げられていませんでしたか?
Moguraさん、下の書き込みでも触れたように、「アダムの本」は就学以前か、低学年のろう児が授業の時に使う「テキスト」で、いわば「絵本」の一種です。従って、指導者のための「マニュアル」とか「指南書」の類ではありません。
「手話コミュニケーション研究」誌に加藤某が発表しているのは、その「アダムの本」を実際に使ったデンマークでの授業風景のルポルタージュです。
本の中身を白黒写真付きで紹介されているが、実物は随分とカラフルな絵本のようです。ただし、日本の幼児向きの「絵本」をイメージしたら、とんでもありません。「文章」の量が半端ではないのです。ページの半分近くが細々としたデンマーク語で占められています。
成人ろう者の自然な手話を収録したビデオテープとセットで使うことにより、ろう児自身の能力で国語と手話の語彙や文法的差異を理解させることを目的に作成されている本だが、あくまでも「書き言葉」の習得に重点を置いた「教材」で、自然な手話を習うことは二次的な意味合いを持っているようです。その証拠に、ろう児はビデオを見て真似るわけでもないし、教師も薦めたりしていません。
因みに「アダム」とあるのは、ろう児の主人公の名前で、妹もろう児、両親もろう者というデフファミリーの長男という設定で、描かれています。そのために、「ろう者」が「ろう者」として生きていくことに自信を持てる「内容の本」だと内外から評価されているそうです。だからといって、事情の違う日本で過大評価されても困りますね。
「アダムの本」について(3) 投稿者:龍児 投稿日: 2月16日(金)21時38分46秒
ざっと簡単に「アダムの本」を利用したデンマークの教育手法を8つのステップに分けて紹介したが、そこで気付くことは、デンマーク手話のモデルがビデオテープの成人ろう者だけであることです。その成人ろう者の使う「デンマーク手話」は実際に見てないので何とも言えないが、本文には「自然な言語」と注釈しているので、日本で言えば「日本手話」に当たるでしょう。だから、日本のバイリンガル教育推進派は、これを根拠にして第一言語を「日本手話」でなければならないとしているのだと思います。
しかし、以前にも言及したことだが、デンマーク手話(或いはスウェーデン手話)を「日本手話」と同次元にして論ずべきではありません。なぜなら欧米語と日本語とでは文法の構造があまりにも違いすぎるのです。日本語独特の「助詞」そして平かな、カタカナに及ばず「漢字」もあるというように、書記文字についてもバラエティーに富む「国語」は世界に類が無いと思います。
そして、外国語の構文は手話に移行しやすい形をしていると一般に言われているが、日本手話においても外国語の構文に近い表し方をするとしばしば指摘されています。そういう特質を持つ日本手話がなかなか書記日本語に移行しにくいことは、NHK教育テレビでDプロの人達が披露する日本手話を見れば、わかることです。日本手話のネイティブ サイナーを任ずる私ですら、カンでわかっていても、正確な日本語に訳せと言われたら半分以上も出来ないというのが、正直なところです。
ビデオのモデルが声無しのデンマーク手話であっても、教師は「声つきの手話」で解説をしたりろう児に質問を促したりする一方で、ろう児の方も、声を出しながらの手話で反応し、両方が出来ない子供の場合は自分独特のサイン(ホームサインの一種)で応じたりしているそうです。ここではビデオの成人ろう者の使う「デンマーク手話」を真似ることに重きを置いていないことに留意する必要があるでしょう。
あくまでも書記デンマーク語の習得を目標にした指導法で、教師はろう児がビデオの手話を見た結果、内容をまず把握しているかどうかを確認してから、その手話の語彙に一致するデンマーク語を記憶させるのに腐心している様子がうかがえられます。そこが大事なところだと思います。
ろう児が低学年のうちに手話の文法的差異を把握するのは、目で見ても教師から解説してもらっても土台理解する域に達するとは思えないが、デンマーク手話の習得を第一目標にしているわけではないことを考え合わせれば、別の見方が出来ると思います。それは、ビデオの「デンマーク手話」は「言語に興味を持つとっかかり」としての役割を持たせているのではないでしょうか。簡単に言えば、言語というよりも「絵柄」を見る感覚というところでしょうか。
デンマーク手話全体の流れと言うよりもセンテンス毎の手話を捉えて、それをイメージ化によって言葉としての概念をまずろう児に理解させてから、その手話に一致するデンマーク語の語彙を選択させる作業を一通りするプロセスの中で、教師側が声付き(または口形併用)の手話を使っているところに、重要な意味があると思います。声を出しながらの手話とは言わずと知れたこと、「対応手話」のことです。
ネイティブな手話は元来生粋のろう者でないと使いきれないモノだから、健聴者が使おうとすれば、必然的に対応手話にならざるを得ないが、その「対応手話による言語教育」はうまくいかないというのが、日本のバイリンガル教育推進派の「定説」になっています。本場のスウェーデンやデンマークでは対応手話で十分ろう児とやっていけるというのに、日本では何から何でも「日本手話」でなければならないというのは、解釈が恣意的すぎるのではありませんか。単なる「思いこみ」でしかないですね。
デンマーク語との一致度が高いデンマーク手話で言葉の概念を学び、教師と対応手話でやり取りする中で、デンマーク語の言語感覚を育てていく教育手法を、そのまま書記日本語との一致度が低い「日本手話」で応用するにはかなりの無理があるように、思いますね。何と言ったって、デンマークのろう教育の成功を望むなら、「対応手話」でやるしか道はないでしょう。
自然な言語「日本手話」を先に習得しなければ、子供自身が日本語も手話も十分に使えない、いわゆる「セミリンガル」になってしまうと心配する向きもあるが、現実を知らない人の見方だと言っていいでしょう。インテの場合はともかくとして、ろう学校出身者の中には厳しい口話法の洗礼を受けたに関わらず、だれ1人として日本手話を身に付かないままで世に出たという話はあまり聞きません。全員が全員、ろう学校内の「ろうコミュニティ」で日本手話の環境に否応なく置かれるわけだから、絶対にセミリンガルという中途半端な境遇になるはずはありません。
RE:[アダムの本」 投稿者:Mogura 投稿日: 2月16日(金)08時30分31秒
その本ですが、バイリンガル教育の能書きはともかくとして、実践する時の心構え
や必要条件とかは書いてありませんでしたか?そちらも無視できないものがあると
思いますが。
また、インテに対する見解も取り挙げられていませんでしたか?
仮にバイリンガルで教育を施したといっても、ある程度成長したら積極的に聴者に
触れ、聴文化に触れ、そこから何かを学ぶことの価値も認めなければならないと思
います。いくら外国だって周囲は聴文化には変わりないはずだが。
第一言語に日本手話、そして次に日本語という言語教育は、デフファミリーなら可
能性は高く、さらに言語的に洞察力の鋭いお子さんだけのような気がしています。
そのお子さんはきっと、聴児と変わらないかあるいは、聴児以上の成長を示すのか
も知れませんが、「ろう文化」だの「ろうコミ」だけに拘っては成長に影響すると
も考えられます。
雑々と書いてしまって申し訳ありません。私も仕事中によくこんな疑問が湧き上が
るものだと、我ながら呆れております。
中学生以降は手話を 投稿者:孫悟空 投稿日: 2月16日(金)00時37分37秒
>ちなみに私は、バイリンガルに対してはまだ懐疑的ですが、日本語がある程度使える
>ようになったら、日本手話でも対応手話でも覚えたらいいと思っています。
(Moguraさん)
日本語が完全に獲得できた中学生以降ならば、手話を覚えても学力に全く影響しないと
思います。
ただ、こちらの「金沢方式」でも、子供どうしの横のつながり・つきあいがほとんど
なく、成人してからようやく同じ障害の仲間をみつけてグループをつくります。
グループ仲間のなかで手話を使う人がいれば、コミュニケーションが早く手軽にできる
ことがわかりますから、手話が普及するのに時間はかからないでしょう。
現にインテの大学生でつくっている「聴覚障害者学生懇談会」で手話が盛んに使われて
いますね。
聴覚障害児教育の専門職 投稿者:孫悟空 投稿日: 2月16日(金)00時24分04秒
インテでいちばんの問題は、聴覚障害児の学業をサポートする専門職の先生がいないこと
ではないかと思います。
難聴学級・きこえの教室を担当する先生がいちおう専門職といえるかもしれませんが、数年で
異動を繰り返すのであれば、考え直さねばならない問題ではないでしょうか。
それで最近できた「言語聴覚士」の資格制度で、すでに大学・専門学校で養成が始まっており、
医療や福祉の分野ばかりでなく、将来的には教育の分野においても活躍が期待できそうです。
このくわしい情報は追ってアップします。
インテと手話 投稿者:Mogura 投稿日: 2月15日(木)22時48分17秒
インテしているお子さん同志のコミュニケーションですが、同障者すなわち難聴者と
呼ばれる方々でも、お互いに手話を知らない場合、会話が成立しない場面が多々あり
ます。ちょっと面倒ではありますが、筆談とかの工夫が必要になります。筆談さえ拒
否されたら、悲しいことにもうおしまいです。
この点はとても重要であり、頭のどこかに整理してしまっておくべきです。
現実的なサポートとしては、まず手話を受け入れてもらうのに要する説得説明がカギ
なのですが、私の経験上、ご両親様の頑な手話否定が大きく強く作用していて本人も
手話に対して抵抗を覚えるケースが多かったです。つまり自分は聞えないと認めてい
るが、手話は要らないというパターンですね。
インテしていても、いつからともなく、機会さえあれば強引に手話講習会に放り込ん
ででも覚えさせるくらいの覚悟は必要だと思います。
上のような意味でも、早い時期に抵抗無く手話を覚えられる幼児期から手話教育が難
聴者でも必要であり、難聴者でもろう学校へ行けということは理解できます。
しかし、現実的にはどうでしょう? 皆さん、一度よく考えてみてもいいと思います。
ちなみに私は、バイリンガルに対してはまだ懐疑的ですが、日本語がある程度使えるよ
うになったら、日本手話でも対応手話でも覚えたらいいと思っています。
孫悟空さん、本題からややずれたかと思います。平にご容赦の程を。
まだ仕事が終わりませんので、この辺で失礼します。
「アダムの本」について(2) 投稿者:龍児 投稿日: 2月15日(木)22時38分56秒
第1ステップ。テキストを開く前に、テキストの内容を成人ろう者が自然な手話で表したビデオをろう児に見せる。ストーリーの概要を理解させるのが第1眼目で、大人の手話をまねることではない。ろう児がわかったことを自分流の伝達手段(口話手話を問わない)で説明するのを教師がくみ取って、理解の程度を把握する。(健聴者とろう者の教師がペアーを組む)
第2ステップ。テキストの文章をコピーした OHPをろう児が見ながら読む練習をする。その前に健聴者の教師が手話を併用しながら声を出してテキストの文章をモデルリーディングする。ろう児も声と手話を出しながらテキストを読む。声を上手く出せない子もいるが、教師は発声よりも内容の把握を優先し発語の修正はなし。このステップの要点はろう児がテキストの文を読みながら同時に手話で表現することにより、書き言葉の意味を捉えているかどうかをチェックすることにある。
第3ステップ。前のステップで書かれた語の手話表現が出来なかった場合、再度ビデオを見せて、手話表現とその意味を確認して記憶する作業を丁寧におこなう。
第4ステップ。再びビデオを見ながら、特別な使い方をする手話を取り上げて、その語彙がデンマーク語でどの様な言葉で書かれているのか確認する。このレッスンでデンマーク語とデンマーク手話の語彙や文法の違いなどを知る。
第5ステップ。テキストのOHPを手話を交えながら読み終えたら、色々な手話表現が出来そうな語彙を選び出して、様々な方法で表現してみる。ここで手話が空間を多元的に利用する言語であることを学ぶ。
第6ステップ。机の上にテキストを開き、ろう児各自が好きな方法で読む。声を出しても良し、手話だけでも良し、それらの併用でも良し、要はテキストの内容を自分なりに把握して豊かに表現できるかどうかチェック。
第7ステップ。教師はテキストの文章をセンテンス事にを切り離したものを準備し、それ黒板に順不同に並べる。ろう児はセンテンスを一枚一枚記憶して、ビデオをまた見る。自分の記憶した語彙の手話表現があったら、黒板から並べたものを外す。それで、デンマーク語の文章とデンマーク手話を一致させる。
第8ステップ。テキストの内容に付いて質問が書かれたプリントを配布する。質問にきちんとした文章で答えをすることによって、内容の理解度がチェックできるばかりでなく、デンマーク語を正しく書く練習にもなっている。
以上のように主観を交えずに載せたが、それで、第一言語を「日本手話」とした日本のバイリンガル教育も、デンマークの例のようにうまく機能するかどうかは、解釈の違いによって違ってくると、思います。このことに関しては、明日書きます。