東京都議会は28日、本会議を開き、公明党から、ともとし春久副幹事長(都議選予定候補=足立区)が代表質問に立った。
(略)
一方、同議員は都立品川、江東、杉並の各ろう学校の統廃合により、将来、他のろう学校に移る児童について、「通学時間などの負担が増大し、必要で専門的な教育がおろそかになる」と指摘。「聴覚障害には乳幼児期における教育が重要」とも強調し、身近な地域で専門教育を受けられるよう支援策を求めた。
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以下、くわしい情報は下のリンクでご覧下さい。
http://www.komei.or.jp/news/daily/2004/0929_03.html
手話の講習会では、定員数というものがあって、希望者が少なければ全員受け入れとなりますが、定員数を超えるとどうするか、先着順にするか書類審査にするかなどで、なかなかカットに踏み切れないで頭を痛めます。
定員の5倍以上も希望者が集まったところでは、会場の変更・確保が大変で、大講堂に全員を集めて説明会・講演会を何回かして、希望者が定員数に減ったときに手話の講習を始めたということもありました。
私が講師をつとめた講習会では、希望者(生徒)の状況をみて講習のレベルを決めて進めます。生徒の絶対多数(3分の2以上)が講習のレベルについていればよく、ついていけない生徒はしかたがないので、無視することにしています。
何かの理由をつけて講習を休む・いつも時間に遅れてくる・いつも後ろの座席にいる・自習をきちんとしないなどで努力しない人には、どんなに良心的な教育を施しても無駄なことです。
講師のほうも「講習の時間を守る・わかりやすく楽しい講習」を心がけることは当然のことで、講習が終わるたびに点検・反省して、次の講習に備えます。
この手話講習会の経験から、ろう学校の教育についても「教育が遅れている・レベルが低い」と文句をいったり「一人の落ちこぼれを出さない理想的な教育」を求めることは、非常に困難でナンセンスなことです。
そのかわりに子どもの全員が「ろう学校は楽しかった」と<心の拠り所>になるところであれば十分と割り切ったほうがいいのです。
大学に進学できる「教育レベルの高い」ろう学校をつくるには、筑波大学附属ろう学校のように入学試験で「できる子ども」を選抜して、<少数精鋭主義>で教育する以外にありません。
たびたび私が主張しているように、視覚言語の手話から音声言語の日本語に移行することがいかに無理で困難であるということは、全日本ろうあ連盟が代表者になっている「ろう教育の明日を考える連絡協議会」が最近発行した「日本の聴覚障害教育構想プロジェクト(中間報告)」の34ページに
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手話使用によって形成されたコミュニケーションの力や手話言語力の力を、どのように日本語の力に結びつけるか、答えが出ていない。
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とはっきり書かれていることで裏付けられています。
この中間報告は127ページに及ぶ膨大なものですが、くわしい情報は下のリンクでホームページからダウンロード(PDF)して下さい。
http://www.normanet.ne.jp/~deafedu/index.htm
私は今までろう学校・ろう協会・全国大会などで述べ5,000人あまりのろう者に会ってきましたが、そのなかで「先に手話を母語にして、そのあとで日本語を獲得した」という人は残念ながらほんの数えるほどで、だいたい1,000人に1人の割合でした。
そのろう者に会って話を聞くと「ろう学校の中学生のころに先生が手話で日本語をわかりやすく教えてくれたので、日本語に興味をもって本をたくさん読んだ」「先輩に教えてもらえずバカにされて、努力して勉強した」「遊び友達がいないので、本をたくさん読んだ」という話が多かったでした。
「言語の臨界期」というものがあって、3歳から6歳までが母語(日本語)の臨界期で、15歳までが第二の言語臨界期で、それを過ぎるといくら努力しても非常に難しくなります。
ろう学校で先生が手話で日本語をわかりやすく教えても、必ずしも生徒のみんなが理解できるとは限りません。ただ手話で日本語の意味がわかっただけで、手話と日本語のちがいがわからない生徒は、頭のなかで手話と日本語が混同していて、いつになっても日本語の正しい読み書きが身につきません。
手話と日本語のちがいを英語と日本語のちがいに例える先生がいますが、たしかに聞こえる人が大人になっても英語をよく理解して話せる人がいます。しかし、それは英語と日本語の間に橋渡しになる共通言語(音声)があるからで、視覚言語の手話と音声言語の日本語の間に共通言語がなく、非常な無理があります。
音声のかわりに目に見える文字が橋渡しになるといっても、文字はもともと音声の単位で成り立っているので、口話で音読をたくさんやらないと、頭のなかに日本語が入ってきません。
頭のなかに日本語が入っていなければ、物事を日本語で考えることはできないわけですから、日本語の正しい読み書きができないということになります。
「ろう者はなぜ日本語ができないのか」と聞かれたら、私はいつも「手話で考えるから、日本語ができないのだ」と答えることにしています。過去の掲示板でもまともに反論できる人はいません。
「口話教育がろう者の日本語をダメにした」という主張は、最近の早期手話導入で日本語教育が成功していないことからして、間違いであることがはっきりしてきます。
日本語と手話 (みみ子) 2004-09-29 12:08:26
私は自閉症の子どもの母親です。難聴についてはあまりわかりませんが、「本人に楽な言語だけを使っていると、他の言葉を使わなくなる(使えなくなる)」ということは経験上よく知っています。
自閉症の子どもには、簡潔にわかりやすく話すと通じやすいのですが、言葉がわからずパニックになられるより、通じやすい言葉を使っていた方が親も子も楽なため、「(もうすぐ夕食だけど)食べる(気はあるの)?」「うん。」というような会話に陥りがちです。
そういう生活を続けていると幼稚園や学校で、長い言葉で話しかけられても意味がとれなかったり、教科書は読めても文の意味がとれなかったりします。
「勉強ができない」という親の話を聞くと、日常会話が細切れで、正確な意味をなしていないため、文字は読めても意味がつかめない。計算はできるのに何を解けと言われているのかわからないということが多いです。
小さなときから正しい言葉を教え、日本語に慣れることがどんなこどもにも必要だと思います。家庭での日常会話と、社会で使われる会話との違いに気づく親は少なく、結果「なんでわからないの!?」と責められるのは子どもたちです。
私が子どもたちを育てていて注意したのは、話言葉と書き言葉をしっかり理解させるということでした。話が通じてもものが読めないと不自由ですし、読めても理解できなければ意味がありません。
子どもの教育の本で、「言葉」について書かれたものは少なく、気がついていない親が多いのが残念です。子どもにとってわかりやすい言葉で接するのは確かに楽でしょうし子どもは喜びますが、その上の段階も考えないといけないと思いました。
私が感じたようなことが、難聴児には手話と日本語で起きていると考えていいのでしょうか?
一次ことば・二次ことば (孫悟空) 2004-09-29 21:47:05
みみ子さん、非常に示唆に富むコメントをいただき、ありがとうございます。
>私が感じたようなことが、難聴児には手話と日本語で起きていると考えていいのでしょうか?
最近は難聴児でも自閉児と似たような問題が起きていると思います。
いわゆる「一次ことば」といって、家庭で親子の会話が成り立っても、学校へ行って先生や他人と話す「二次ことば」が育っていないという問題です。これが「9歳の壁」といわれているものだそうです。
また、情報を教えて下さい。
きのう、となり富山ろう学校の元同級生と家族が集まって、1泊のクラス会を楽しみました。
私は石川ろう学校ですが、妻が富山ろう学校の出身なので、久しぶりに楽しく旧交を温めていると、クラス会が彼らの「心のふるさとに帰る場所」であることを感じさせました。
場所は公営の健康福祉センターですが、宿泊はホテルと同じくらい立派なもので、温泉がついていて料金が安いところでした。
ロビーに集合して、フロントから部屋のキーを受け取って、温泉に入って、先に上がった人にキーを渡しましたが、温泉から部屋に戻ると、ドアが閉まっていて開けられません。
自動的に閉まるオートロックで、ふつう聞こえる人がいればドアをノックする音で開けてもらえますが、部屋にいる人が聞こえないと開けられません。しかたがないので、フロントへ行って、合鍵で開けてもらいました。
このような宿泊ホテルのトラブルは、全国ろうあ者大会などでたくさんあり、難聴児をもつ家族づれでも注意しておく必要があります。
オートロックのドラブルを防ぐには、ドアをストッパーで半開きにすることを徹底させます。
夕食は、一般客が集まるレストランとは別に、和室の広間を用意してくれたので、周囲を気にしないで手話で話せました。食事を運んでくれた若い女性従業員がなんと筆談ボードをもってきて、飲み物の注文がスムーズにできました。
このクラス会で、ろう学校の生徒が減って、統廃合が進んでいる話題が出てきました。3校以上のろう学校がある地域は2校に、2校ある地域は1校に統合され、1校だけの地域でもいずれ特別支援校に変わってしまうということでした。
それから、ろう学校の卒業生で、すごい能力がある人はほとんど7歳以上の中途難聴で、次に家庭できびしい口話教育を受けた子どもでした。家庭で放任されて早い時期から手話をおぼえてしまった子どもほど口話教育(日本語)で落ちこぼれてしまいます。
手話が先で、日本語を獲得するためには、本人が発奮して努力しなければ、絶望的です。
10年ぐらい前から、大都市圏を中心に「障害は個性である」と主張する個人・集団が出てきているようです。
「しょうがい 【障害・障碍】」について、ネットの国語辞典によると、
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〔「障がい」と表記する場合もある〕
(1)物事の成立や進行の邪魔をするもの。また,妨げること。
(2)身体の器官が何らかの原因によって十分な機能を果たさないこと。また,そのような状態。
(3)個人の特質としての機能障害(impairment),そのために生ずる制約としての能力低下(disability),その社会的結果である社会的不利(handicaps)を包括する概念。
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とあります。イメージとしてはあんまりよくない、マイナスイメージになることはしかたがありません。
全日本ろうあ連盟に加盟する団体名簿をみると、「聴覚障害者協会」という名称が多く、聴覚障害者情報提供施設(聴覚障害者センター)の設置に伴う社会福祉法人化で、今後増える傾向にあります。
どの団体も「障害は個性である」とはいわないで、運動を通して「障害者の社会的不利」を訴えて、社会的支援を求めています。
職場や地域社会で、耳が聞こえない人がいると、ふつう「言葉とコミュニケーションが不自由」なために、「障害者としての配慮」が必要になります。配慮がわかる人はいいですが、実際は配慮がわからない・めんどうくさい人のほうが圧倒的に多いので、周囲に敬遠されてしまいます。
いくら当人が「障害は個性である」といっても、周囲に敬遠される状況は変わりません。
例えば、背が高い・低いことはふつう「個性」であって、「障害」といわれることはありません。背が高いと天井につかえたり、ベッドから足がはみ出したり、合うサイズの服が少ないなどの不自由はありますが、高いところにあるものをとれる、人を見下ろす優越感があるなどのメリットもあります。
背が低い人は、子ども扱いされる不利なことがありますが、動きがすばしこい・頭がいいなどのメリットがあって、「気の持ち方・考え方」しだいで素晴らしい「個性」になります。
「個性」というのは、その人間だけがもっている固有のかたち、能力、他人と区別できるものであって、「障害は個性」になりえないものです。
聴覚障害(ろう・難聴)があることは、言葉を獲得しにくい、コミュニケーションが成立しにくい、必要な情報が得られにくいことはまぎれもない事実でありますから、「障害者としてのマイナスイメージ」を素直に受け止めるべきであると思います。
そして、スポーツや文化・団体などの活動で、自分が持っている能力を発揮して、社会貢献して、「個性のプラスイメージ」で前向きに生きることが「アイデンティティ」の確立につながります。
障害者の雇用率全国1位の先進県だが…
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「障害者に多くの働く場を」と大分労働局は22日、障害者就職面接会を大分市内で開いた。大分県は障害者の雇用率が17年連続で全国1位の先進県だが、基準を満たす企業の割合は不況の影響で年々減っており、障害者の雇用状況は厳しくなっている。
「一人暮らしはできますか」「会話はどのくらいできますか」
面接会には県内外から民間企業43社が参加。障害者は240人が集まった。企業の担当者と参加者は手話や筆談を交えながら面接した。
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以下、くわしい情報は下のリンクでご覧下さい。
http://mytown.asahi.com/oita/news01.asp?kiji=4816
【2004年9月22日】
聴覚障害者に新たな支援策、キャンパスに広がる──学外ボランティア・専門の通訳…(9月22日)
「ノートテイカー」と並んで授業を受ける伊藤建志さん(中)=大阪府吹田市の大阪大学
聴覚に障害を持つ大学生がより学びやすい環境をつくろうと、新たな支援策がキャンパスに広がっている。学外ボランティアを大学側が招いたり、技能の高い通訳を職員として採用したりするなどサポート体制が充実。これまでは学生ボランティアが手話通訳などで講義内容を伝えており、学生側は「専門用語が多く、複雑で膨大な講義が分かりやすくなった」と歓迎している。
今年4月、学外のボランティアに支援を頼んだのは大阪大学(大阪府吹田市)。聴覚障害のある大学院生のため、ボランティア団体「もみじ」(同府箕面市)に「ノートテイク」を委託、大学側が1人当たり時給約900円を支給している。
阪大はこれまで学生アルバイトで支援してきたが、必要な人数が確保できないなどの問題があった。
「もみじ」のメンバー20人のうち6人が交代で週1回、筆記通訳。事務局長の貝原與志子さん(56)は「難しい授業内容をできるだけ早く正確に伝えようと試行錯誤を繰り返している」。
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以下、くわしい情報は下のリンクでご覧下さい。
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/22236.html
先に紹介した、松山智さんの「僕はサイボーグ」の本を取り寄せて、読んでみました。
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皆、本当に正直だ。<ろう者>が必ずしも、日本手話の使い手ではないのは、一目瞭然。環境的、社会的、家庭的な背景が一因にあるだろう。
小さなことに、こだわっていた自分が、本当に恥ずかしい。
そう、自分は自分。
松山智という人間は、世界でたった一人しかいない。そう思うとモヤモヤしていたものが消えていくことに気付いた。
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そして、一時は声を出すことに否定的になり、「発声することなんてクソ喰らえ!」と思ったが、今では、あらゆるコミュニケーションを身に付けられたのは、ことばの教室に通ったからだと思っている。
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★この本も、以前の「もう声なんていらないと思った」の大橋弘枝さんと同じ<心の葛藤>を経て書かれています。人間はだれでも落ち着くところまで落ち着くと、同じ心境に到達するものだと思います。
口話教育(ことばの教室)の発声訓練は、ただ聴者に近づけるためのものでなく、日本語の思考と読み書きを獲得するための手段として正しいものです。聴覚に障害があれば、明瞭な聞こえと発声が困難なことは当然ですが、口話教育以外に日本語の正しい教育は出来ません。
「日本手話を第一言語にして、第二言語に書記日本語を獲得する」教育論は、何年かかっても実績を出せないでいる<幻想>です。
サイボーグの彼に。 (Noah) 2006-08-17 20:55:01
この本を初めて手にして、半日で読みきってしまいました。
彼の気持ちが痛いほどわかるから、次から次へと、自分が悩んでた時期と彼の悩んでた時期が重なりあう事がよくありました。
正直、もう少し早い時期に彼に出会っていれば私の人生は一人で悩まなくてもすんでいたかもしれないと思いました。
“障害者”と呼ばれるものと“健常者”と呼ばれるもの狭間でもがいている、けど、彼は障害者でも健常者でもない、一人の人間だという事を、一人でも多くの人に知ってもらいたい。
この世には障害者はいない。そして、健常者もいない。
この事を、自分は障害者だ!と思ってる人、自分は健常者だと思ってる人、それと、そんな事考えた事もない人、ぜひぜひ、彼の人生の1ページを覗いて見てください。
Unknown (孫悟空) 2006-08-17 23:01:11
Noahさん、いらっしゃい。
コメントをありがとうございます。
骨で聞く「骨伝導技術」、広がる可能性
指を耳の穴に入れて音声を聞く腕時計型携帯電話、頭蓋骨を振動させてユーザー本人にしか聞こえない音楽を再生するMP3プレーヤー――これらは骨伝導と呼ばれる技術を使って開発されている製品の1部で、耳の周辺の骨を介して音波を伝達する。
骨伝導技術は長年にわたり、補聴器をはじめとする聴覚障害者のための製品や、軍用のヘッドフォンに使われてきた。最近では、一般ユーザーを対象とした製品にこの技術を取り入れる企業が現れている。
以下、くわしい情報は下のリンクでご覧下さい。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040917-00000001-wir-sci
聴覚障害児の耳に− 長船町・国府小PTAボランティア
交流学級で来月にも活動 発言記し支援
聴覚障害のため、授業を聞き取れない子どもたちを支援しようと、長船町福里、国府小PTAのお母さんたちが「ノートテイク」ボランティアの練習に取り組んでいる。合言葉は「子どもたちの耳の代わりに」。10月にも交流学級で活動を始める予定。
以下、くわしい情報は下のリンクでご覧下さい。
http://www.sanyo.oni.co.jp/34news/2004/09/16/20040916111242.html
「第14回ろう教育フォーラムin東京」
<呼びかけ文>
7月14日、東京都特別支援教育推進計画概要(案)が発表されました。統廃合該
当校校長には午前中に説明、午後には校長が臨時職員会議、保護者会で説明、夕
方にはプレス発表、翌日に全校長に説明という尋常でないやり方です。10月15日
までは意見を集めるとしています。
9校あった都立ろう学校が、葛飾ろう学校の開校で8校になり、それをさらに一気
に4校にまで統廃合を進めるという計画で、予想をはるかに超える縮小計画に激
震が走りました。平成18年度から、品川校、江東校、杉並校の幼小学部は、大
塚校の分教室になり、大塚校も幼小学部に縮小、中高一貫の中央校と幼小中高専
の総合校(職業指導校)である立川校、葛飾校の4校体制にするというのです(
幼小の大塚校は中高一貫の中央校と「密接な関係」を持ち、実質3校体制となり
ます)。
昨年12月に出された東京都心身障害教育改善検討委員会「最終報告」は「幼小
の通学負担については十分に配慮する」としており、都立ろう学校統廃合計画は
この「最終報告」に明らかに反しています。昨年6月の「中間まとめ」では「幼
小の通学負担については配慮する」と表現されていて、「最終報告」では「十分」
を付け加え、わざわざ変更した経緯があります。都立ろう学校統廃合計画は「最
終報告」を真っ向から否定するもので到底認められるものではありません。
都立ろう学校統廃合計画が11月に正式発表され実施されることになれば、乳幼児
教育相談や幼小児や重複児に大きな打撃を与えることは明らかです。通学困難か
ら望まないインテグレーションの選択が増え、行き先では孤立化の問題にぶつか
ることになります。こうしたろう学校離れが長期的にはろう学校そのものの衰退
を招くことにもなります。高等部や専攻かで行われてきた進路選択も困難になり
ます。ろう者同士のつながりも希薄になっていきます。99年の「東京都聴覚障
害教育推進構想」、00年の「コミュニケーション等改善検討委員会報告」以降、
各ろう学校が取り組んできたろう教育改善充実の努力を無にするものでもありま
す。
都立ろう学校統廃合計画に危機感をお持ちの皆さんの結集を呼びかけます。
◆主催:東京の聴覚障害教育を考える会
◆日時 2004年9月25日(土)9:30〜17:00
◆会場 府中市立グリーンプラザ けやきホール
(〒183-0005 府中市府中1-1-1)
京王線・府中駅北口下車、徒歩1分
◆参加費 1000円(当日受付でお支払いください)
◆保育 500円(事前に申し込んでください)
◆プログラム
9:30 受付開始
10:00 基調報告「経過と問題点」 考える会
10:40 ろう教育改善充実の取り組みの報告
・ろう学校現場から
12:00 昼食(各自で済ませてください)
13:00 望ましいろう教育と「計画」の隔たりへの意見表明
・保護者、聴覚障害者、教員等から
14:50 休憩
15:00 「統廃合計画の見直しを迫る」パネルディスカッション
17:00 終了
◎参加希望者は、
・考える会事務局(社団法人東京都聴覚障害者連盟内へ) FAX 03-5464-6057
・E-mail savicon@t3.rim.or.jpへ(考える会 本多へ)
特別支援教育推進計画 (市川 光昭) 2005-03-05 17:48:47
都教委が今回の特別支援教育推進計画で、養護学校の
寄宿舎の削減を発表し、それに対して保護者が理由を
尋ねると、その言い訳が利用率が低いとの、でたらめな
ことを言っています。どこの、養護学校の寄宿舎も
希望者が入居者の数を上回っているのに、調べてみると、
まず利用率の分母に持ってくる定員数がでたらめで、
物理的に不可能な大きすぎる数字です。そこを、
尋ねると、法律でそう決まっているという始末で、
それなら、現地に行って実証してくれと言うと、
それはできないといいます。可笑しいでしょう。
実証できないことは、私たちの常識では、事実では
ありません。役人は本当に頭がいかれています。
拝啓
残暑の候、ますます御健勝のこととお喜び申し上げます。平素は格別のご高配を賜り、厚くお礼申し上げます。
さて、本年6月1日より当協会では新事業といたしまして「日本財団聴覚障害者海外奨学金事業」を日本財団の助成を頂き開始する運びとなりました。
この奨学金事業は、申込者の能力を事前に制限することなく、申込者の願いや想いの深さと、期待できる行動力や将来性に対して奨学金を支給するものです。また、渡米前・渡米後のサポートも本事業の大きな特色となっております。
どうぞ多くの方が申し込まれますよう宣伝にご協力いただけますよう、よろしくお願いいたします。
敬具
記
主 催 : 特定非営利活動法人日本ASL協会
派遣人員: 若干名
派遣期間: 2年程度(相談の上、個人の希望により決定)
派遣国、先: 米国(ギャロデッド大学他、教育機関および団体や企業などで本人が策定した研修計画を元に、留学奨学生に適当と判断される場所)
応募締切: 平成16年10月31日(日)までに当協会に到着のこと
※募集要項および詳細は、当協会のホームページをお読みいただければ幸いです。
当協会HP URL: http://asl-japan.tripod.com/
お問合せおよびお申し込み先
〒102-0072東京都千代田区飯田橋4−4−5
ポンピアンハイツ2D室
NPO法人日本ASL協会
「日本財団聴覚障害者海外奨学金事業」留学奨学生募集係
事業担当責任者 当協会会長 野崎留美子
FAX: 03-3264-8977
Email: JASSryugaku@aol.com
1週間に及ぶ長距離ドライブとなると、宿泊の心配をしなくてはなりませんが、ふつう聞こえる人は旅のガイドブックなどで適当なホテルを探して、予約の電話を入れるだけですみます。
ろう・難聴の場合は自分で電話してホテルの予約をとることはできないので、旅行・ドライブに出発する前に日程の計画を立てて、FAXやインターネットで予約をとります。
今回の北海道行きは、車で行くため道路の状況や見物コースなどによっては時間的に大きく変動することが予想されるので、予約なしで入れる健康センターやビジネスホテルの情報をおさえてから出発しました。
健康センターを利用したのは、岩手県の西根温泉と札幌市内の2ヶ所で、ビジネスホテルは室蘭・札幌・盛岡の3ヶ所でした。
健康センターはまず基本料金を先に支払って、帰るときに深夜料金と食事代などを清算するだけで簡単ですが、寝るときは男女別で他人もいっしょなので、確実に入れても完全に休めるところとはいえませんでした。
ビジネスホテルは、飛び込みでフロントへ「部屋はあいていますか」と聞きますが、もし満室で断られると困るので、あらかじめ部屋数と駐車台数が多いところ、できればインターネット利用ができるところを選んで行きます。
飛び込んだホテルはいずれも一発で「空いています」「2人でツインの部屋をお願いします」で決まりました。ホテルはバスルームがせまいことが難点ですが、じっくり寝て休めることが利点です。
ホテルのインターネットは、1)ロビーの一角にコーナーがあって、備えつけのパソコンで利用する、2)端末に数本のLANケーブルがあって、自分のノートパソコンにつなぐ、3)部屋にLANコネクタがあって、自分のノートパソコンにケーブルでつなぐ−とホテルによって対応がちがっていました。
3)の部屋にLANコネクタがあるホテルがいちばん便利ですが、あいにく自分のケーブルがなかったので、しかたなく携帯電話につないでインターネットしました。
そのほかに、デジカメから写真をパソコンに取り込んで、インターネントで我が家に送信するために、部品(USBメディアリーダー)が必要で、パソコンを扱う大型電器店を探して、ホテルから送信しました。
この長距離ドライブで経験してわかったことは、健康ランドを利用するよりも、日帰りの温泉に入ってホテルで心おきなく寝たほうがいいということでした。
もうひとつ、長距離ドライブでいちばん威力を発揮したのは「カーナビ」で、真っ暗な夜道でも間違いなく早く目的地に行けることが大きな利点でした。いちども故障しなかった車とカーナビに感謝です。
9月11日(土)宮城・蔵王(御釜)
平泉のあとは東北高速道で宮城川崎ICを降りて、蔵王エコーラインと蔵王ハイライン(有料)のきびしい山道を、しかも深い霧のなかを「果たして御釜を見れるかしら」と不安に思いながら走りました。刈田岳の頂上近くの蔵王レストハウス駐車場に到着すると、霧がきれいに晴れ上がって、展望台に行くと、眼下に御釜の見事なパノラマが広がっていました。土曜日のせいか観光客の数がすごく多くて、レストハウスのなかは混雑していました。
帰りは往路と逆に新潟方面に向けて車を走らせて、途中の関川温泉に入って休んで、新潟から北陸高速道のサービスエリアで仮眠をとりながら、金沢の自宅に帰り着いたのは翌12日(日)の午前7時前でした。
金沢から北海道の旭川を往復した、延べ走行距離は3,175キロでした。帰ってからは疲れと眠気でぐったりと休んで、疲れが完全にとれるまでに4日かかったのは寄る年波のせいかもしれません。
9月11日(土)平泉の中尊寺・金色堂
この日も朝から快晴に恵まれて、源義経の悲劇で有名な平泉に向かいました。中尊寺は京都の寺院と見劣りしない重厚で歴史を感じさせる立派なものでした。なかでも金色堂はその名前の通り、黄金に輝く仏像群が安置されたところで、神秘的な迫力に圧倒されました。撮影禁止で紹介できないのが残念です。
9月10日(金)十和田湖の「乙女の像」
十和田湖への道のりは結構きつかったでしたが、到着してみると素晴らしい景観で、多くの観光客が集まっていました。駐車場から湖畔を歩いて10分のところに有名な「乙女の像」がありました。十和田湖から帰る途中で高い展望台に登ってみると、十和田湖の美しいパノラマがよく見えました。
9月10日(金)弘前城
弘前城の天守閣に入ってみましたが、外観のイメージが前に見たものと違って、平凡な造りの城で少しがっかりしました。ところが、あとでネットで調べてみると、入ったところは西の方面であって、東と南の方面でないとカッコいい造りの城が見えないことに気づきました。もっと城の周囲を見て回ればよかったと後悔しました。
弘前城について、くわしい情報は下のリンクでご覧下さい。
http://www4.airnet.ne.jp/kmimu/castle/tohoku/hiro_s5.htmlaaaa
9月10日(金)青森・ねぶたの里
フェリーは函館から大間で、南下して青森市の北にある浅虫温泉に着いたときはもう深夜の10時を過ぎていたので、道の駅で車中泊しました。翌10日の午前7時から道の駅ビル5階の展望温泉に入りました。
そして青森市の南部にある「ねぶたの里」に向かいました。大きな倉庫のような建物のなかは暗くて、テレビのニュースで見た「青森ねぶた祭り」をそのまま再現してあって、なかなか迫力がありました。
9月9日(木)函館の五稜郭
前日に旭川から札幌に戻ったときは、台風の影響がなくなって、この日は朝から晴れ上がって、高速道も再開して、函館の五稜郭に行きました。博物館の前に本物の大砲が2台置いてありました。
このあと、函館山に登って夜景を見るつもりでしたが、台風の影響でケーブルカーが動かないので断念して、フェリーで本州に渡りました。
9月8日(水)旭山動物園の北極グマ
北極グマ館は水槽があって、立体的に見れるので、ガラス窓のすぐ近くを巨大な北極グマが泳いだり、歩いたりすると、すごく迫力がありました。
9月8日(水)旭山動物園のアザラシ
先にリポートしたように、台風の真っ最中にもかかわらず、動物園に熱心なファン100人以上が集まって、開園していました。
いちばん人気はアザラシ館で、大きな水槽のなかを上下にアザラシがスイスイと泳ぐ様子は可愛らしく刺激的でした。
9月8日(水)札幌市の時計台
台風の影響で、朝から強い風が吹いていたが、雨はあまり降らなかったので、時計台に直行してみました。
デジカメ写真を撮っているうちに、20人ぐらいの観光客が集まってきました。さすがに札幌の名所というだけあって、静かで格調高い雰囲気を感じさせる建物でした。
9月7日(火)札幌テレビ塔
午後3時すぎに札幌市内に入って、テレビ塔に行ってみました。展望台から見た札幌は北海道を代表する大都市にふさわしい街でした。
9月7日(火)小樽運河
「小樽銀座」と呼んでいいぐらい、多数の若者たちでにぎわっていました。北海道名産のじゃがいもを温めてバターをつけたものを食べてみましたが、おいしかったでした。
9月7日(火)石原裕次郎記念館
今もなお中年代の熱心なファンが観光バスやマイカーで訪れており、数多い展示品のなかでスポーツカーや高級外車がすごくカッコよかったでした。
9月7日(火)室蘭の地球岬
なぜ「地球岬」という名前なのか興味をもちましたが、灯台のほかに地球儀をあしらった電話ポックスや変わったデザインの釣り鐘があるだけでした。
5日の午前8時に、北海道・東北のドライブに出発してから、きょう12日の午前7時で、1週間ぶりの我が家に帰ってまいりました。
ドライブのコース
1日目(5日)金沢→新潟→郡山→盛岡(温泉泊)
2日目(6日)盛岡→青森(青函フェリー)函館→室蘭(ホテル泊)
3日目(7日)室蘭(地球岬)→小樽(石原裕次郎記念館と小樽運河)→札幌(テレビ塔・温泉泊)
4日目(8日)札幌(時計台)→旭川(旭山動物園)→札幌(ホテル泊)
5日目(9日)札幌→函館(五稜郭)→(函館大間フェリー)→青森(車中泊)
6日目(10日)青森(ねぶたの里)→弘前城→十和田湖→盛岡(ホテル泊)
7日目(11日)盛岡→平泉(中尊寺)→蔵王(お釜)→新潟(車中泊)
8日目(12日)新潟→金沢
心配していた台風の影響ですが、高速道のサービスエリアや温泉・ホテルなどのテレビニュースで台風情報をチェックしていました。
4日目(8日)の札幌市内は、朝から強い風が吹いていて、街路樹が揺れて、道路は落ち葉でいっぱいになり、いかにも台風の真っ最中でした。旭川に行くため高速道に入りましたが、途中で通行止めになり、岩見沢インターで降ろされたので、やむなく国道を北上しました。
台風も北上しているので、強い風は変わらず、空を見ると「台風の目」らしい青い空間が広がっていて、ときどき太陽の日差しが出て、フェーン現象とあいまって真夏のような暑さでした。
広い畑に土ぼこりが舞い上がり、トラックが風圧に押されて斜めに傾きながらノロノロ運転したり、空荷のためかアルミトラックが路肩に横転していたり、古い建物の屋根が風で剥がれ、看板や街路樹が倒れ、古い電柱が何本もわたって倒れて、あちこちで消防車・道路パトカー・警察パトカーが待機していたりして、台風の被害を目のあたりにしました。
やっとの思いで旭山動物園に着いてみると、台風中にもかかわらず、30台以上のマイカーが集まって、開園していました。
旭山動物園はテレビで紹介された通り、アザラシ館と北極グマ館が人気で、立体水槽のなかをアザラシがスーッと泳いで通り過ぎたり、北極グマが水中で泳ぐ様子が見られると、すごく刺激的で台風のことを忘れて「来てよかった」という実感がわいてきます。
あすの早朝から、北海道へ向けて夫婦でドライブに出発しますので、お休みさせていただきます。
10日(金)の夜に帰宅の予定ですが、心配な天気のほうは北陸・東北が雨模様で、北海道は晴れる見込みです。
8月の早くに行っても台風の心配があり、10月にずらすと寒くなってしまうので、北海道へ行くタイミングは本当にむずかしいものですが、今新たな台風が発生しているので、出発を決断しました。
北海道のリポートを楽しみにして下さい。
Unknown (きよきよ) 2004-09-05 00:43:49
気をつけて行って来て下さいネ!!
大丈夫ですか? (福でん) 2004-09-08 14:10:05
北海道、大丈夫でしたか?
台風で大変だったのではないでしょうか?
私は、九州在住。
北海道はあこがれの地です。
レポートを期待しております。
では、また。
(初書き込みでした)
ラリー・ジャパンに挑戦するドライバー福沢曜子さん
北海道で3日から始まる世界ラリー選手権(WRC)「ラリー・ジャパン」に挑戦する。出場90台のうち女性同士でコンビを組むのは4チーム。「トイレのことや、ときには生理痛。ハンディはあります」。自身はそれに聴覚障害が加わる。
生後3カ月のとき、高熱がもとで聴力を失った。「エンジン音は聞こえない。でもその分、体が敏感になり手でハンドルに触れたら異常が分かる。目の動きも速いので、周りの変化に気づきやすい」。筆談での質問にペンを走らせる。
くわしい情報は下のリンクでご覧下さい。
http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/feature/news/20040903k0000m070144000c.html
先に紹介しました、中途失聴の松山智さんが、今月中旬、両耳の聴力を失い始めてから現在までの体験をまとめた書籍「僕はサイボーグ」(新風舎)を出版しましたが、この本をネットで見つけたので、下のリンクでご覧下さい。
「僕は、聴いてみたかった」という言葉が、胸にしみます。
http://www3.nsknet.or.jp/~mita-te/net/matsuyama.htm
オリンピックで勝つ要因のひとつに「集中力」があります。緊張をほぐして集中力を高めれば、実力以上のいい結果を出せます。選手たちは集中力を高めるために、心の準備をしたり、環境を整えたり、いろいろと工夫して、競技に臨みます。
ろう・難聴児教育においても、0歳から6歳までの幼児期は「言葉と心を育てる」ために、いちばん重要な時期です。聴能(補聴器・人工内耳)で言葉(音声語)を獲得させるためには、家庭で楽しく遊びながら集中的にトレーニングすることがいちばん効果的です。
聞こえる子どもは、どこでも「音声語のシャワー」を浴びて、自然に音声語を獲得できますが、聴覚障害の子どもには意図的・集中的に「日本語(音声語・文字)のシャワー」を浴びせる必要があります。
聴力がほとんどない重度の難聴・ろうであっても、0歳から3歳までは集中力があれば、聴覚に代わって「全身で言葉を感じ取る」感覚がよく発達して、大人が予想していない結果を出すことがあります。
母親といっしょにいる時間が多い女児ほど、その傾向がよくみられます。男児は家庭では、母親といっしょにいないで、ひとりで遊ぶ傾向があるので、集中力がなく女児に比べて言葉が少々遅れるのはしかたがありません。
ろう学校は、聴覚障害の子どもに言葉を教える専門機関ですが、子ども集団の手話が日本語とちがう独自の言葉である限り、日本語教育が効果的に進められるところではありません。ですから、ろう学校に行かないで、家庭で母親がしっかりと責任をもって集中的に日本語を教えたほうがもっと効果的です。
手話を取り入れたほうが親子のコミュニケーションが成立しやすいメリットがありますが、それはあくまでもろう学校の手話と隔離して、家庭に限定して日本語に合った手話で使うべきです。
2004/08/30 [くろーずあっぷ]
中途失聴の体験をまとめ本にした 松山智さん23=神奈川
◇中途失聴の体験をまとめた本を出版して聴覚障害者への理解を求める
◆同情せず本音聞いて
大学一年の夏、頭の骨の裏側に人工の聴神経などを埋め込む人工内耳手術を受けた。右耳の裏側に装着したマイクが拾った音を聞いた時、「自分の声って、こんな音だったんだ」と、感動で体が震えた。今月中旬、両耳の聴力を失い始めてから現在までの体験をまとめた書籍「僕はサイボーグ」(新風舎)を出版した。「聴覚障害者の本音を、もっと知ってほしいんです」
三歳の時に発病した突発性難聴により、少しずつ周囲の声や音が聞こえなくなっていった。中学生になったころには、補聴器をつけていてもほとんど聞こえない状態に。補聴器は「『自分は耳が悪い』ということを示すアクセサリーのようなものだった」という。
以下、くわしい情報は下のリンクでご覧下さい。
http://osaka.yomiuri.co.jp/possibility/news/human/human_040830.htm