BBS会議室「寺子屋」

これで終わりにします 投稿者:アース  投稿日: 6月10日(日)00時36分05秒 

ですから、なぜ仮定の話をする必要があるのか?ということを問うているのでしたが、純粋に法律面だけを見てくださいといったのはそういう意味での言葉です。

ですが、孫悟空さんが論点はずれていない、話が変わっているだけと言っているようなので、ここは引き下がることにします。それでは。


聴力と学力(知能) 投稿者:孫悟空  投稿日: 6月10日(日)00時01分40秒 

聴力障害が重い・全然聞こえないほど音声語の獲得はむずかしく、学力も上がらないと
思われがちですが、私のいたろう学校で聴力ゼロでも学力優秀な生徒の例があります。
ポケットの中身がジャラジャラと聞こえるような生徒でも学力不良の例があります。
つまり、聴力障害と学力は関係がないということです。

ならば、子供の聴力がゼロであっても、知能を高める・頭をよくすることで、日本語
獲得の希望がもてます。
子供の聴力障害を発見したら、日本語獲得をあせらないで、まず知能を高めることから
始めることです。


れんさんへ 投稿者:ゴジモンママ  投稿日: 6月 9日(土)11時12分34秒 

はじめまして。
私も、聴障児の母親です。お答えできることがあるなと思いながら、いろいろな方からの助言があり、あらためて重ねて私からお伝えすることはあまりないのですが・・・。
いま、一番の幸運は0歳児で聴覚障害が発見できたと言うことだと思います。しかも言語聴覚士の先生の指導を受けていられるとのこと、そこまでにたどり着けたことはお子さんにとってもお母さんにとってもラッキーなことですよ。
いろいろな考え方が有ると思いますが、私自身は同じ聴障児の仲間を見ていて、100dB未満の子はきちんとした<聴覚管理>と<言語指導>を受ければ、日本語獲得も、使用に耐える音声語も獲得できると思います。ただろう学校の幼稚部では、その両方ともがおぼつかないことに問題があるのだと思います。
ABRの数値からみると、100dBよりはるかに軽い聴力だと思われます。
乳幼児の聴力検査に実績のある施設は、近くにあるのですか?ボタンを押す聴力検査の前にできるぬいぐるみに電気がつく条件反応を利用した赤ちゃんの聴力を見極める検査があります。それを受けられる所(検査する言語聴覚士の熟練を要する検査ですが)があれば、もっと正確な聴力がはかれると思います。1歳前に補聴器をつけてきちんとフィッテングができ、正しい聴覚刺激が入ることはその後の大きな助けになります。
言語聴覚士の先生に、なんでも相談なさるといいと思います。まず、実際のお子さんとお母さんを直接知っている人の手助けを十分受けられること、周りの沢山の人たちの力を惜しまなくいただくこと、困っていることをご自分の目の前の人にぶつけてみること、そこから開けていくものがあると思うのですが。
ただ、もう中学生になった息子を見ながら思うのですが、早い時期から手話にふれされることは大事だと思います。それがいつからがいいのか、また手話の導入が聴覚からの情報入手にどの程度ブレーキになるか、私はわかりません。聴覚が60,70,80dB位までのお子さんなら問題はないのではないかと感じています。
どちらにしても、乳幼児の場合は、まずは親子が通じ合えることが大事、使えるものは何でも使い、声も表情もジェスチャーも手話もどきも何でも使い、楽しく、心のやりとりができることが一番です。手話もどきなんて言葉を使いましたが、もう手話をちゃんと知っているお母さんでしたらそんないい方をしてごめんなさい。私自身は、もう8,9年手話を学んでいますが、まだまだ手話の使い手にはなっていません。勉強不足です。

法律面については 投稿者:孫悟空  投稿日: 6月 8日(金)23時12分58秒 

アースさんのいわれる通りで、拡大解釈できないとして、最後に各1校づつ残ったとしての
仮定論を展開しているのです。
論点がずれているのでなくて、論点が変わっただけのことですから、アースさんも早合点
しないで、文章をゆっくり読んで下さいね。

アースさんが最初に「孫悟空は論点がずれている」という思い込みがあると、とんでもない
方向に行ってしまいますから、気をつけましょう。
相手の善意を信じて、素直な気持でおちついて、くりかえし読めば何でもないことです。


えっ? 投稿者:アース  投稿日: 6月 8日(金)22時56分27秒 

どうも論点がまたずれているようです。

私は孫悟空さんが言った「聾学校は将来的に統廃合が進むだろう、財政上の問題でなくなるかもし
れない」という点に対して学校教育法を持ち出したのであって、それに対して孫悟空さんがまたま
た法の拡大解釈という話を持ち出したので、憲法二六条の教育を受ける権利が存在し、その条文を
実現するために学校教育法というものがあり、憲法の思想に反する法の拡大解釈と改正は許されて
いないということを説明したのです。この点で国がどう判断するかという視点で述べたのですが、
それに対して今度は各都道府県に一つ残ったとしてという論法を展開されていますね。

そういう視点で捉えて欲しかったのですが、孫悟空さんはどうあっても自分の論法と結びつけよう
としているのでしょうね。しかし、ここはただ純粋に法律面で見てください。教育方法や環境につ
いて、私はまったく言及していないのですから。


てのひらさんへ 投稿者:猪八戒  投稿日: 6月 8日(金)08時57分51秒 

てのひらさん、丁寧に説明して下さってありがとうございます。

もともと、比べる事に「意味が無い」とは思ってもいませんでした。
何回も普通の聴力検査を経験して行くうちに、上手になっていくということなんですね。

目からウロコがポロリと落ちた感じです。
どうもありがとうございました。


親子の負担 投稿者:孫悟空  投稿日: 6月 8日(金)01時38分47秒 

>特に教育に至っては全国平等に教育を受けさせる権利というものを保障するのを目的に
>していますから、この点での法的拡大解釈というものは国が果たして認めるかどうか
>疑問符がつきます。
(アースさん)

ろう学校がどんどん少なくなってきて、最後に各都道府県に各1校づつ残るとしたら、
遠距離から通う親子の負担は大変なものになります。
すでに寄宿舎がなくなっているろう学校もありますから、いきおい選択肢が限られて
しまいます。

遠いろう学校に通う経済的負担(交通費)を自治体が保障してくれるとしても、時間的
負担までは何の保障もしてもらえませんから、平等な教育といえないものです。

したがって、これからの聴覚障害児教育は、家庭教育から始まって地域の学校にインテ
する傾向がますます強まるものと思います。


心強いです 投稿者:れん  投稿日: 6月 7日(木)19時02分51秒 

ショックの最中、皆さんからの書き込みを読み、元気が出てきました。
まだまだ時間があります。音声日本語を獲得できるよう頑張ります。
もし無理でも、そのとき他の道もあるわけだし、その時その時でできる精一杯の努力をしたいと思います。
孫悟空さんがおっしゃるように家庭でのマンツーマンでも何とかなるならやれるだけやりたいです。こちらは、田舎なので、選べるほど訓練施設はありません。親が頑張って効果があるならやってみたいです。

猪八戒さん、はじめまして。
聴力障害児を育てている先輩ママから励ましていただいて大変嬉しく思います。
うちは0歳でこれからですが、これからもよろしくお願いします。
Moguraさん共にこれからもアドバイスお願いいたします。

まずは、皆さんにお礼まで。
本当にありがとうございました。 また、子どもの様子を書き込みたいと思います。


猪八戒 さんへ 投稿者:てのひら  投稿日: 6月 7日(木)16時42分35秒 

>それは、ABRの聴力と普通の聴力検査での聴力の違いについてです。
>私の素人の感覚からすると「ABRは聴力が悪めに測定される方が多い」ように思います。
>大抵の場合、ABRは最初に一回受けるだけだから、聴覚活用が進むと、普通の聴力検査の
>価が良くなるのですか。
>それは、努力によって聴力が良くなると言う事なのでしょうか。
>普通の聴力検査の結果がなかなか良くならない場合は、本人や親の努力が足りないという
>ことなのでしょうか。

 まず、ABRについて説明します。ABRは、音を聞かせて脳波の反応をとり、それから
聴力を推測するものです。難しいのは、どれぐらいの高さの波がでているときに、聞こえる
という判断をするかです。目で見て、有意な波かどうかを判断しなければならないわけです。
当然、誤差が付き物です。

 また、一般的に高周波数領域の音を聞かせて脳波をはかります。ふつうの聴力検査のように
いろいろな周波数を調べるわけではありません。周波数が違えば、聴力が違うというのは、
ごく普通にあることですから、ABRの聴力と、他の聴力検査の聴力を比較するのはあまり
意味のあることではありません。
 

 次に普通の聴力検査について述べます。これは、音が聞こえたかどうかを自分で判断して
ボタンを押すものです。その子がやる気がなかったり、検査になれていなかったりすれば、
結果は悪くでます。音が大きくなるまで反応しないのです。猪八戒さんも自分で聴力検査を
やればわかりますが、聞こえるかどうかの微妙な音は、判断するためにはかなり神経を使い
ます。音が大きくなれば余裕でわかりますが。集中力がなければ、音が大きくなるまで、
反応できなくなるわけです。

 ですから、聴覚活用が進むから聴力がよくなるわけではありません。大きくなって、
聴力検査になれたから、小さな音にも反応するようになるということでしょう。


この件は 投稿者:アース  投稿日: 6月 7日(木)16時14分17秒 

昨日、個人的に孫悟空さんに対しメールを出し、一応返答を頂いたのでこの件は終わりにします。
もともとこの掲示板を荒らす気はまったくないので、これ以上の議論は無意味だし、お互い論点がずれているのでこの点でも無意味だということでやめます。

最後に注釈しますと、法の拡大解釈というものはなかなかしにくいというものがあります。また、地方自治体が独自に法の拡大解釈をすることは許されていません。特に教育に至っては全国平等に教育を受けさせる権利というものを保障するのを目的にしていますから、この点での法的拡大解釈
というものは国が果たして認めるかどうか疑問符がつきます。

それでは皆様、大変失礼しました。

http://homepage2.nifty.com/law-earth/


私見 投稿者:Mogura  投稿日: 6月 7日(木)13時12分25秒 

>また何かつまづいたときは お伺いしてもよろしいでしょうか?(れんさん)

私のような輩でよろしければいつでもどうぞ。ここへは2,3日に一度の割合で覗きに来てい
ますし、もし何でしたらメールでも一向に構いません。

ただ私の考え方としては、てのひらさん同様に「ろう児の言語獲得」と「難聴児の言語獲得」
は別してアプローチすべきではないかという立場ですから、全ての聴障児に「金沢方式であ
るべし」、「インテすべし」、「バイリンガルであるべし」などとは思わない立場です。
それぞれの置かれた環境を等身大に受けとめて、いかにして道を探って努力し、なおかつ将
来的なビジョンも見据えて一歩一歩前進の姿勢を是としています。いざとなれば方向を修正
できるように日頃から柔軟な思考を養うべく情報収集も欠かせないものと思います。これは
聴障児を持つご家庭だけでなく一般的なご家庭にも通用するものと思っております。

ろう学校あるいはインテにしても、社会的に通用できる人間を育てられることが可能だとい
う発想を大切にしたいと思っています。そういう意味において、先日NHK教育TVで紹介あり
ました広島ろう学校の試みは、大変心証良く写ったとともに、今後も大いに声援を送りたい
し、ああいうろう学校も増えて欲しいとさえ願っています。手話教育を取り入れるろう学校
が増えてくれば、難聴学級や通級といった教室に関わるスタッフの方々も守備範囲を広げざ
るを得なくなるものと思いますし、そこからまた新たな視野が広がるものならこれに越した
ことはないでしょう。

以上、漠然とした他人事な無責任とも思えるコメントで恐れ多いですが、私の立場ということ
でご理解下さればと思います。


れんさんへ てのひらさんへ 投稿者:猪八戒  投稿日: 6月 7日(木)10時27分37秒 

れんさんへ

はじめまして 亀レスですいません。
わたしも聴障児を持つ母です。家のこぶたはろう学校に通っています。

れんさんの赤ちゃんは0歳で難聴が見つかったのですね。とても、辛いお気持ちだと思います。子供に障害が見つかった時の親はみんなそうです。不安です。

でも、早く見つかって良かったと御考えになってみて下さい。
れんさんのお子さんぐらいの聴力で、なかなか発見されずに「言葉が遅い」ということで1才半〜2才になってから、やっと聴力検査をして難聴だと分ったという方は結構いらっしゃいます。
早く見つかった分だけ就学までの教育時間がある訳ですから、努力のしがいがありますよ!…ねっ!

ABRで80dB位とのことですが、それ位なら、聴覚口話法での教育に期待できると思います。前にも書きましたが、「お話ができるようにさせたい」というお気持ちが強いのでしたら、やる前から諦めることはありません。今は、目標(口話の獲得)に向けて努力なさってください。
ホントにやってみないことには判らないんですから。
やってみて上手く行かなかったら、そのとき考えれば良いと思います。

あと、金沢方式と聴覚口話法の両立についてお悩みの御様子ですが、私は金沢方式の事は良く判らないので、以下は聞き流して(読み流して)下さい。
→聴覚口話法は、母が作る教材がたくさんあります。そしてその教材を使っての家での勉強もとても多いです。そのうえ金沢方式もしっかりやろうとすると、日常生活が「お勉強」に振り回されてしまうんじゃないかという点が心配です。
(教育手法として両立できるのかどうかという問題については判らないです。すいません。)
 

てのひらさんへ

分らない事があるので、プロとしてどう御考えになるのか教えていただけませんでしょうか。

それは、ABRの聴力と普通の聴力検査での聴力の違いについてです。
私の素人の感覚からすると「ABRは聴力が悪めに測定される方が多い」ように思います。大抵の場合、ABRは最初に一回受けるだけだから、聴覚活用が進むと、普通の聴力検査の価が良くなるのですか。
それは、努力によって聴力が良くなると言う事なのでしょうか。
普通の聴力検査の結果がなかなか良くならない場合は、本人や親の努力が足りないということなのでしょうか。

↑素朴な疑問です。変な事を聞いてしまってすいません。
よろしくおねがいします。


言語獲得は集中力で 投稿者:孫悟空  投稿日: 6月 7日(木)10時26分13秒 

>また質問になりますが もしろう学校を選択した場合、こちらでは聴覚口話法を使って
>います。(幼稚部をチラッと見学したのですが、指文字や手話も使っていました)
>学校では聴覚口話法、家庭では「金沢方式」となったときでも子どもは混乱せずにスムーズに
>音声日本語を獲得できるのでしょうか?
>そして、母親の私自身もろう学校の宿題(絵日記やカードなど)をやりながらも取り組める
>ものなのでしょうか?
(れんさん)

ろう学校の幼稚部で指文字や手話を使って教育するところがありますが、「金沢方式」も
最初は手話で言葉を教えています。
幼稚部と金沢方式のちがいは、学校の集団教育と家庭教育のちがいです。
くりかえしますが、聞こえない子供に言葉をおぼえてもらうことはとてもむずかしいので、
たいていの親はあせってしまいます。

言葉の獲得はなんといっても「集中力」が大切で、家庭でマンツーマン教育することが
いちばん効果的であると思います。
ろう学校の聴覚口話法は、集団教育ではあまり効果があがりにくいものです。たとえ
3〜10人ぐらいの小人数であっても、子供の個人差が大きいので、おくれている子供は
ますますおくれてしまいます。
また、幼い子供ですから、集団になるとどうしても遊びたい気持が先行して、言葉の
獲得がおくれてしまいます。
成績のいい子供は、たいてい家庭で親が熱心に教えているところが多く、学校まかせ
ではいい成績が出せません。

れんさんの場合は、0歳児から手話と絵カードでスタートして、4歳児で日本語獲得を
見届けてから幼稚園へインテグレートさせるのがいいのではないかと思います。
こちら(金沢)では、金沢方式で家庭教育しながら、ろう学校の幼稚部へ通っている
ケースはあまりありません。


Moguraさんへ 投稿者:れん  投稿日: 6月 6日(水)15時07分35秒 

丁寧な回答ありがとうございました。
わからないことばかりのぐちゃぐちゃな頭でも理解できました。
聴覚障害児の音声日本語獲得は、聴力レベルだけではなく、環境にも左右されるんですね。
まずは、うちの子の場合、発見時期としてはベストだったわけですから、これから環境を整えてやらねばなりません。
「先はけっして暗闇ではない」というお言葉を道標に親子でがんばりたいです。
そして、おっしゃるように「肩の力を抜く」ことが今の私には一番必要で大切なことのようです。
アドバイスありがとうございました。また何かつまづいたときは お伺いしてもよろしいでしょうか? 今後ともよろしくお願いします。

これからもよろしくお願いします 投稿者:れん  投稿日: 6月 6日(水)14時55分01秒 

孫悟空さん、これからよろしくお願いします。
「金沢方式」さっそく資料取り寄せたいと思います。
ところで、その前に聞いておきたいことがあります。今うちの赤ちゃんは、言語聴覚士さんに見てもらっています。母親への指導が主ですが、子どもへの音聞かせなどもあります。
いずれ(幼稚部あたり?)ろう学校に入学するのかなーと漠然と考えているのですが、この方式を取り入れ家庭で実行すれば、幼児からのインテも可能かも・・ということなのかと少しほっとしました。(けっしてろう学校がどうだということではなく選択の幅が増えるという意味での安心です)
また質問になりますが もしろう学校を選択した場合、こちらでは聴覚口話法を使っています。(幼稚部をチラッと見学したのですが、指文字や手話も使っていました)
学校では聴覚口話法、家庭では「金沢方式」となったときでも子どもは混乱せずにスムーズに音声日本語を獲得できるのでしょうか?
そして、母親の私自身もろう学校の宿題(絵日記やカードなど)をやりながらも取り組めるものなのでしょうか?

私などがとても口をはさめない高度な議論をなさっているなかに、初歩的な質問で申し訳ありません。教えていただけないでしょうか?


やれやれ 投稿者:孫悟空  投稿日: 6月 6日(水)14時35分59秒 

アースさんのひねった論法にウンザリといいたいところですが、そこはグッと我慢して、
私のろう学校時代の仲間はだれも「少し聞こえるのだから、難聴者だ」といいません。
「ろう者のことがよくわかる、ろう者だ」と認めてくれます。
これはろう学校で12年間いっしょにいた経験と信頼がものをいいます。

そんなわけで、HPのトップにあるように「<ろう者とは>生まれつき又は幼少のとき
から耳が聞こえず、ろう学校で教育を受けた聴覚障害者です。」と矛盾しません。

私が書いたのは「良心的な聴者」であって、アースさんのいう「聴者の良心」とは意味
がちがうものです。良心的な聴者というのは、これから聴覚障害児教育で活躍が期待
されている「言語聴覚士・言語療法士(ST)」のことです。

学校教育法の改正はすぐにはむずかしくても、財政難に悩む自治体は法の拡大解釈に
よって、地域学校のなかに聴覚障害児の施設を設けることが考えられるでしょう。


またまた、うーむ 投稿者:アース  投稿日: 6月 6日(水)09時39分10秒 

狭い了見ですか、そうは思いません。孫悟空さんが言わんとしていることには矛盾があります。こ
のHPのトップページに「聴覚障害(ろう)者が運営する」と書かれていますよね、すると孫悟空
さんはろう者だということになります。その場合、ここの「寺子屋」を設置している意味がまった
くなくなります。孫悟空さん自身の論法によって。ろう者でない場合でも、「聴覚障害者固有の価
値観」というものが存在していることになり、聴覚障害児教育を論ずる資格がなくなるということ
にもなります。私はそこを指摘しているのです。自分自身による論法で自分自身を否定しているこ
とに気がついておられるでしょうか?

話は少し飛びますが、「多勢に無勢、または聴者が権力を握っている」、だから聴者の良心を信じ
て教育を進める道しか残らないという論法は、「多勢に無勢、または聴者が権力を握っている、だ
からろう者は差別法などの取り組みをするという道は選択できなくなる。聴者の良心を信じて法改
正を待つしかない。」という論法と同じだと思うんですよ。

>社会の情勢はどんどん変わっていくので、ろう学校の統廃合がすすむばかりでなく、
>財政難でろう学校がなくなってしまうかもしれないし、  (孫悟空さん)

ちょっと待ってください。孫悟空さんは学校教育法があることをご存知ですよね。

同法第七四条【設置義務】 都道府県は、その区域内にある学齢児童及び学齢生徒のうち、盲者、             聾者又は知的障害者、肢体不自由者若しくは病弱者で、その心身の故             障が、第七一条の二の政令で定める程度のものを就学させるに必要な             盲学校、聾学校又は養護学校を設置しなければならない。

この法律がある限り、聾学校は都道府県ごとに最低でも1校は維持されます。法改正されると考え
ておられているかもしれませんね。でもその時には某ろう団体が反対運動を起こすでしょう。


ろう教育の将来 投稿者:孫悟空  投稿日: 6月 6日(水)01時16分19秒 

>経験をしたものが「ろう教育」を語るのは無意味だとおっしゃらならば、聴者に
>すべてを任せた「ろう教育」をおとなしく受けていろとでもおっしゃるのですか。

おやおや、若くて前途有望なアースさんらしからぬ狭い了見です。
ろう教育に限らず、どの教育機関(大学・高校など)も全てといっていいくらい
聴者が「権力」をにぎっています。当然ながら聴者の価値観で教育が支配されて
いるといって過言ではありません。
まさに多勢に無勢で、ろう教育改革を叫ぶことはいいのかどうか考えなくては
ならないと思います。

社会の情勢はどんどん変わっていくので、ろう学校の統廃合がすすむばかりでなく、
財政難でろう学校がなくなってしまうかもしれないし、フリースクールだって経営難で
つぶれることは今から予想できます。
するとどうしたらいいのか考えられますか。

結局は、良心的な聴者の教育者を信じて、親が家庭で子供に言葉を教えて、
インテさせる道しか残らなくなるのではないでしょうか。


家庭でマンツーマン教育を 投稿者:孫悟空  投稿日: 6月 6日(水)00時55分06秒 

れんさん、いらっしゃい。

0歳の聴覚障害児ということなので、私の地元で訓練している「金沢方式」で
音声はもちろん書記の日本語を獲得することは十分可能です。
そして地域の幼稚園・小学校へインテグレート(統合教育)して大学まで進学
した成功例が多くあります。

聴覚障害児に言葉を教えることは多くの困難がありますから、どこかの集団教育
にまかせるよりも、親の責任で家庭でマンツーマン教育することがいちばん効果
的です。
下のリンクで「金沢方式」の資料を取り寄せてみることをおすすめします。

http://tyoukaku_net.tripod.co.jp/kanazawa.htm


ろう教育の論争 投稿者:孫悟空  投稿日: 6月 6日(水)00時34分14秒 

>私はろう者固有の価値観を持って、それはそれでいいのだと思っております。

Moguraさんのいわれる通りで、アメリカ人・中国人・アフリカ人にも固有の
価値観があって、悪いことではありません。

ろう教育のように聴者(教師・親・社会)とろう者の価値観がかみ合わないまま
50年の長きにわたって論争が続くことは、ある意味で空しく悲劇的ではないかと
思っております。


いやいや、龍児さん 投稿者:孫悟空  投稿日: 6月 6日(水)00時24分43秒 

>何か、私を当てこすっているように聞こえますよ。悲しくなりました。

私のいわんとすることはあちらさんのことで、龍児さんのことをいっているのでは
ありません。表現がまずかったことをおわびします。
あちらさん、つまりバイリンガル教育・龍の子学園系のサイトは、ろう者固有の
価値観でろう教育論を展開しているので、聴者である親御さんたちの価値観と
かみ合っていないように思われます。

ここでは親御さんの価値観を尊重しながら、聴覚障害児教育はどうあるべきか
建設的に考えてみたいと思っております。
親御さんの価値観というのは、子供が手話よりもはっきりした音声の言葉で
「お母さん、お父さん」と呼んでくれることです。「とても聞こえない子供と
思えない」といわれることが親の誇りです。
これぐらいはどなたもわかってもらえるのではないかと思います。

>口が利けなくとも、常識人として誰にも負けない人生を送っている「ろう者」は
>ごまんといます。

たしかに、聴者社会の価値観を理解している常識人のろう者はいますけれども、
そんなにごまんといるわけではありません。

>聞こえないことをはっきり意思表示して手話を使う「ろう者」の方が堂々としているな、
>と感心することがあります。

これがまさしく、ろう者固有の価値観であって、結構なことです。


うーむ 投稿者:アース  投稿日: 6月 5日(火)16時43分54秒 

ろう者独自の価値観を持つことは悪いとは思いませんし、それは自分の経験からきている価値観で
す。孫悟空さんのように明瞭に話せるし一対一では普通に話せる(?)という環境で育ってきたと
いう人も、それなりの独自な価値観を持っていますよね。結局はそれぞれが育ってきた環境で価値
観が形成されるということなので、価値観というものは皆が一様な物を持っているとは限らない、
どこか一部分が違っていることが多いです。それが悪いかどうかはまた別問題だ思います。

>私の場合は、ろう学校でいっしょに口話教育に苦しむろう児(者)の姿を目のあたりに
>しているので「聞こえないと苦しいだろうな」と理解しているし、 (孫悟空さん)

>明瞭な音声の言葉でコミュニケーションすることの素晴らしさを経験できない
>ろう者は、ろう者固有の価値観しか持ち得ませんから、ろう教育問題で議論する
>ことは空しいような気がしますが、皆様はいかがなものでしょうか。  (孫悟空さん)

理解するのと経験するのとは違います。聴者が聞こえないということを理解するのと、実際に聞こ
えなくなるのとは違いますよね。経験をしたものが「ろう教育」を語るのは無意味だとおっしゃら
ならば、聴者にすべてを任せた「ろう教育」をおとなしく受けていろとでもおっしゃるのですか。
私はこう思いますよ、龍児さんが「自称ろう者」と書いていますが、もしそうだとした場合、自ら
を否定している言葉ということになります。できれば撤回して欲しいですね。


れんさん 投稿者:Mogura  投稿日: 6月 5日(火)13時21分21秒 

れんさん、はじめまして。私は一介の聴障中年です。
まずは月並みな言葉で申し訳ありませんが、ご心情お察知申し上げます。

境界線は見ようとして見えるものではないです。もし見えていれば聴障児の言語指導はもっ
と確立されていたはずですし、れんさんのご心痛もそれほどなかったと思います。聴障幼児
の手話導入による言語獲得は最近見直されているもので、どこぞで謙虚に慎重に開発されて
いるものと期待はしております。れんさんご自身が手話を覚えることは、機会あればどんど
ん触れてくださっても構わないと思います。

残聴力の数値だけを拝見しますと、補聴器活用で音声日本語獲得ルートに乗せられる期待が
一応できるゾーンとお見受けいたします。ただし100dbクラスの聴障児でも音声日本語を獲
得できる場合もあれば、60dbそこそこでも獲得できない場合もあります。通常の人間の声に
よる会話は500Hzから2000Hzと言われていますし、補聴器装着で30dbであれば何とかスピー
チゾーンに入ります。問題は声を聞き取り、そこから言葉を弁別することなのですが、これ
のサポートのしっかりしている言語訓練相談に行かれることをおすすめしたいです。補聴器
はデジタル化による進歩は顕著でありますが、過信は禁物、適応するお子さんが限られる点
もありえますことも頭の片隅に押えておいて下さればと思います。

ちょうどれんさんのお子様と、私自身が小さい頃の聞え方が似ているようです。高域急降下
型で、補聴器はろう学校入学時の4才から着用して聴覚口話を頼りにやってきています。た
だし、周囲の友人達を見ていて思うのは聴障が重いほど聴覚口話は苦痛でしかなく、何らか
の工夫がなされるべきで、そのひとつが手話であり、指文字もあれば、キュードもあります
ので悲観は不要です。家庭環境さえ明るくしっかりできていれば、日本語読み書きは十分に
獲得できますよ。

>「視覚的訓練をすると耳を使わなくなるので手話は今は使わないように」

これについては一理あるものと私は思っています。話を難しくすると補聴効果のあるお子さ
んほど要注意で、環境にもよりますがお子さんによっては発音が駄目になっていくケースは
私も数例ではありますが見ています。当面は先は決して暗闇ではありませんので、楽しい育
児を通して少しずつ元気になるよう肩の力を抜いてみませんか?          


境界線はどこにあるのでしょうか? 投稿者:れん  投稿日: 6月 5日(火)10時54分39秒 

初めて投稿します。
孫悟空さんへ。子どもの障害発覚後このページで勉強させていただいてます。

どなたかアドバイスいただけないでしょうか?
てのひらさんが「聴覚中心の教育、視覚中心の教育と分けるべき」と書き込みされていましたが その境界線はどこにあるのでしょうか?
やってみないとわからないと言うことなのでしょうか?
私は0歳児の聴覚障害児を育てています。
ABRで80デシベル前後です。
低音はよく、500Hzや1000Hzで50デシベル、補聴器をつけると30デシベルです。
高音は悪く、補聴器の有無にかかわらず80から90デシベルあたりです。
診てもらっているお医者さんからは「視覚的訓練をすると耳を使わなくなるので手話は今は使わないように」と言われていますが、いつか必要になるのならと手話番組を見たり、手話講座に出かけたりしています。子どもへは全く手話は使ってません。
日々、声かけをする、近づいてはっきりと話す、、、等を実行しているくらいです。
うちの赤ちゃんのような高度難聴児は視覚的教育をしたほうが伸びるのでしょうか?
せっかく早期に発見されたのでベストの育児、教育をしたいと考えています。
しかし、障害発見のショックと今後への「あせり」でとても心が疲れているのも事実でありこのままだと子どもにも悪いと、何か道しるべ的ものがほしいとすがるような気持ちで
投稿いたしました。
今、どのようなことを元に、親が教育方法を選択すればいいのか、視覚中心にするか聴覚中心にするか境界線があるのかどうか教えてください。
頭の中がぐちゃぐちゃでその上思いつくまま書きましたので文章までもがぐちゃぐちゃですが、どなたかアドバイスお願いします。


あーたんさん 投稿者:Mogura  投稿日: 6月 5日(火)07時57分10秒 

差し支えなければ、お手すきの時にでも一報メールを頂けませんか?

ろう者固有の価値観? 投稿者:Mogura  投稿日: 6月 5日(火)07時53分27秒 

孫悟空さんがどのような価値観を差しておられるのかわかりませんが、私はろう者固有の
価値観を持って、それはそれでいいのだと思っております。ただし、それが肥大化して反
社会的になるというのでしたら、話は別ですけど。

まりんこさま、ありがとうございます 投稿者: あーたん  投稿日: 6月 5日(火)02時54分42秒 

とても暖かい励ましありがとうございます。
親が投げ出さなければ難聴児は大丈夫!!なんて心強いお言葉でしょう。
まりんこさんに大丈夫。と言って頂いて気持ちが楽になりました。
何よりあかねちゃんの様子を伺って希望を持ちました。
わたし、前向きに焦らず頑張ります。
本当にありがとうございました。
宜しければ、またお話を聞かせて下さい。お願いします。

うーん、こんな私でも資格無し? 投稿者:龍児  投稿日: 6月 5日(火)00時38分01秒 

>明瞭な音声の言葉でコミュニケーションすることの素晴らしさを経験できない
>ろう者は、ろう者固有の価値観しか持ち得ませんから、ろう教育問題で議論する
>ことは空しいような気がしますが、皆様はいかがなものでしょうか。

私は、まさに孫悟空さんの言われる「ろう者」に該当します。何か、私を当てこすっているように聞こえますよ。悲しくなりました。「ろう者」と自称する孫悟空さんらしからない言い方だと思います。

自分の「ろう教育論」が虚しいモノとは思いません。こんなろう者の私だからこそ、説得できるものを自分は持っていると自信を持っています。はっきり言うが、音声語のコミュニケションが出来ないからと言って、ろう者の価値観しか持ち得ないというのは、「論理の飛躍」そのものだと思います。口が利けなくとも、常識人として誰にも負けない人生を送っている「ろう者」はごまんといます。むしろ、なまじ喋れるために手話の使用をつい控えてしまう「難聴者」よりも、聞こえないことをはっきり意思表示して手話を使う「ろう者」の方が堂々としているな、と感心することがあります。


教育とは努力すること 投稿者:孫悟空  投稿日: 6月 5日(火)00時03分50秒 

てのひらさん、お久しぶりです。

>ぎりぎり6級ということですよね。70以下であれば厚生労働省の基準による
>障害者の範疇にすら入りませんから。

「厚生省による聴覚障害等級の基準」をみると、たしかに6級でした。
しかし、集団におけるコミュニケーションは補聴器を使ってもほとんど理解できないので、
社会的な不自由・不便・不利益を受ける障害者であることに変わりはありません。

>聴覚の残っている聴覚障害者の場合は自分の経験をもとに考えてしまし、なぜ
>ろう者が口話教育に苦しんでいるのかが理解できないのではないでしょうか。

私の場合は、ろう学校でいっしょに口話教育に苦しむろう児(者)の姿を目のあたりに
しているので「聞こえないと苦しいだろうな」と理解しているし、ろう者の日本語能力
についても「聞こえないと言葉の獲得が非常にむずかしい」といつもいっているので、
ろう者仲間の支持・信頼を受けています。

口話教育で苦しんだろう者は「手話で教育すべき」といっておりますが、私がろう学校
時代に授業がよくわからない生徒に手話で教えてあげたことがあります。そのときは
「よくわかった」と喜んでくれますが、それが学力アップにつながるとは限りません。
また、素晴らしい教育をする立派な先生がいても、生徒がぼんやりとしていたら、学力
アップになりません。
口話か手話か聴力があるかどうかでなくて、生徒がどれだけ努力したかで教育の成果が
決まるのではないでしょうか。

手話でも講習会やサークルで丁寧に教えてあげた人よりも、自分からすすんで苦しんで
努力した人ほど本物の実力を発揮してくれますよね。


ろう教育と難聴児教育 投稿者:てのひら  投稿日: 6月 4日(月)01時33分43秒 

 孫悟空さんの聴力が70デシベル前後と聞いて、はっきり言って驚きました。
ぎりぎり6級ということですよね。70以下であれば厚生労働省の基準による
障害者の範疇にすら入りませんから。

 聴覚を活用できるかどうかは、その残存聴力に依存します。残存聴力が
ほとんどなければ、どんなに聴覚活用だと言っても不可能なわけです。
逆に聴覚が残っている人はどんどん聴覚を活用すべきです。ただ、
同じ教育の仕方で両者を教育できるとは思わないほうがいいでしょう。
聴覚中心の教育、視覚中心の教育、その子によって分けるべきだと思います。

>明瞭な音声の言葉でコミュニケーションすることの素晴らしさを経験できない
>ろう者は、ろう者固有の価値観しか持ち得ませんから、ろう教育問題で議論する
>ことは空しいような気がしますが、皆様はいかがなものでしょうか。

 逆に言えば、明瞭な音声のコミュニケーション手段を知っている人は、今までの
口話教育でろう者が置かれていた苦しさを理解できないということでしょう。
そして、普通に聞こえる人にはその苦しさを想像できたとしても、聴覚の残っている
聴覚障害者の場合は自分の経験をもとに考えてしまし、なぜろう者が口話教育に
苦しんでいるのかが理解できないのではないでしょうか。

 たとえて言うなら、「鉄棒の逆上がり」です。同じクラスの友達がまったく
逆上がりができない。だから、一生懸命練習する。自分は簡単に逆上がりが
できてしまった。この場合、できない子どもの気持ちがわからない。なんで
こんな簡単なのできないのって思うわけです。どうやったら逆上がりができる
ようになるのかを考え指導しなければならないのですが、できる子にとっては、
そんなこと考えるのも意味がない。だって、自分は簡単にできるんですから。
ところが、逆上がりを全くしたことがない人から見れば、「逆上がりって
すごく難しいんだろうなあ。この子はこんなに一生懸命になっているのに、
できるようにならないんだから。」と、素直にその難しさを受け入れられる。

 ろう教育と難聴児教育は、似ているようで、非なるものです。その違いを
認識し、両者は分けて語られるべきものだと思います。


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